今まで四国を訪れたことは数知れず、伊予・土佐・讃岐は結構な僻地まで行きました。
多分阿波踊りのイメージが強くて、ついつい避けていたような気がします
ひとまず式内巡りくらいはしようと調べていたら、ひっかかってきたのがここです。
100%、阿波国の中心だったところです。
うわ、「邪馬台国阿波説の裏付けとなるエリア」、だって!
県内には他にも「文化の森」(県立博物館:八万町)「渋野天王の森」(古墳密集:渋野町)「歴史文化公園」(埋文:板野町)「イスラエルの謎」(ムー系:美馬市)等、 妙な チェック対象になるものが多々あったのですが、どうやらこの史跡公園が一番「Wの範疇」(=弥生時代)に響くようです。
ネットにはあまり情報が無くも、公園として整備されているし資料館もある。
半日取って行ってきました。
Pは南側、入場無料。
小さい展示室が1つあるだけの資料館で、「特別展は展示室の真ん中」という規模↓
でも建物は綺麗だし、全体的に今風の展示・演出が盛り込まれていてイイ感じ。特別展の「顔に特化した遺物展示」(撮影禁止)も中々な目の付け所。シャープです。常設展示の図録が無いのは残念。
鑑賞後は資料館スタッフに道を確認し、Pに車を置いたまま史跡公園へ。資料館の前庭から西へ出て、舗装道路対面の林へ続く道を進みます→
碑には「気延山古墳回廊 登山口」
園内はほとんど舗装されているのですが、高低差120mで勾配のきつい箇所があるし、あまり人が通らない部分はアスファルトの上に苔がびっしりで滑るので、運動靴がベスト。
園内MAPですが…
資料館サイトにある「阿波史跡公園マップ」は、残念ながら「製作中」。
資料館にあった無料配布マップは結構ウソ、というかわかりにくくて役に立たず。。。
本当は奥谷古墳を通って宮谷古墳へ抜けたかったのですが、ウソ地図のおかげで叶いませんでした。
←資料館に展示してあるこれが一番正確なので(ゼンリン地図。そりゃそうだ…)、写真を撮っておくと便利。
※後日見たら、国土地理院の地勢図にも園内舗装路がカンペキに載っていますね・・・・・・
園内にあったこれもまあまあイケるのですが、広範囲すぎてなんだかもう…↓
矢野古墳(県史跡)は林に入ってすぐ→
奥に写っている綺麗な青い石段を登ると、右に標識が出て来るので右折。
そのまま進むと、墳丘らしきところに、神社が↓
灯篭の刻印は「廣濱神社」かな? (広浜神は八倉比賣の臣下で、「神紋を縫った神サマ」らしい)
その先をちょっとくだると、
←玄室入口。
羨道が横に???
あ、ここは円墳か。
墳頂の説明版によれば、「両袖式横穴石室」で「珍しい複室構造」――だって。6世紀の築造かな?
玄室の中に入れるようになっていますが、薄暗い林に一人ではコワいので、外から撮影して退散。
元の道に戻ってジグザグ登ると、アスファルト舗装が始まる(というか終点)地点に出ます↓
この辺りから「奥谷古墳」行かれるはずなのですが、案内表示が全く無いので分岐がわからず。多分、この舗装地点からすぐ左(東)へ入る獣道がそうだとは思うのですが。。。
←仕方ないので、舗装路を更に登って進みます。
東屋もあったりして↓
最初に通った時は、ここで地元のジイジたちが集まって雑談してました。平日だったから、日課のウォーキングですかね。(週末は孫と遊ぶから、こういう処には来ない/笑) 道路沿いに椅子とか腰掛用のビール箱とか色々あったのですが、あれも地元民用かな?
そのうち左手に谷が見えてきて、谷へくだっていく道が出てきました。「古代の邑」へ行くべく、ここで左折。
↑椿や桜が植わる谷間いを、ガンガン下っていきます。
この先でやっと表示発見。
うん、合ってる合ってる。
最後に急な階段を一気にくだり・・・→
くだりきったら「古代の邑」が始まります。
←振り返って撮影した谷
ここからようやく「公園」らしくなってきて、中々の整備具合。そして↓復元建物が見えてきた。
しかし説明版はとても汚れてる・・・・・・
一番下の公園P(無料)から撮影↓
復元は全部で3基。どれも「ここらで出土したものを元に再現した」というわけではないみたい。
史跡と言うより、この部分は「市民の学習ムラ」?
古墳の墳丘に設置された「五角形の遺物」をモチーフにしたという、Pにある石造りのトイレ↓
上から見えなかったので、本当に五角形だったかどうかは・・・・・・
この石、園内の階段にもふんだんに使われていて、園路の法面の露岩と同じなので、どうやら園内の石を切り出したもののようです。
矢野古墳の玄室の石とも同じみたいだから、そうすると「徳島産の結晶片岩」ということに……
あ、祖谷で見た青石もそうだ。
やんわり青くて綺麗。組み方もいい
↑公園Pから車道に出て管理棟の方へ登ると、正面に宮谷古墳。
古墳をグルっと一周する路があり、西側から後円部に登れます→
前方部は東に貼りだしほぼ消失。やはりここの石室(竪穴式)も葺き石も、結晶片岩ですって。睨んだ通り、古代人はよっぽどこの石が好きだったんだなあ・・・・・・
←古墳の西にあるこのハニワたちの後ろに獣道が見えていて、どうやら石祠を経て舗装路につながるようなのですが・・・泥道なので一度くだって分岐に戻り、アスファルト舗装を登っていきます。
分岐にある管理棟→
舗装路の途中右側には「松熊神社」↓
祭神・松熊二神も八倉比賣の臣で、手力男と天宇受女に比定されてます。ここの組石も例の青石。
更に登ると、八倉比賣神社(名神「天石門別八倉比賣神社」比定社)の三の鳥居(左奥)→
この神社、祭神の御陵と言われる杉尾山古墳(「矢野神山」又は「八倉比売神社一・二号墳」)の前頭部を崩して建立したそうで、「八倉比賣大神御本紀」(社伝?)により「邪馬台国阿波説」の根拠社となっています。県内には信奉者多数。神紋は「抱き柏」。
W的には「出雲の千家某が書いた」という本殿の扁額の方が興味津々です。みみみ見たいっっ
この神社境内から古墳の横を通って北へ行くと、左手に「気延山登山道」が。その先右手で、鳥居前で分岐したアスファルト舗装路と合流。ここから更に北へ進むと、ちょっと広い場所に出ます。何台か駐車されてるけど、登山者のかな?
そこから車止めを越えて舗装路を進むと、左手に「天の真名井」だという大泉神社へ続く階段が→
↓看板には「このさきにおりがあります」
何それ、コワ…… オール平仮名、コワ。
↓鬱蒼とした林の中に、こんな感じで。。
うわあ、井戸だ またもや五角形!↓
コワ、もうコワ過ぎ。とても蓋なんか取れません。
出雲の「天の真名井」に比べると、なんて暗くて水に乏しいんだろう
こんなところで行われたのかと思うと、途端に「陰惨で怪しい儀式だったんだろうな」とか思ってしまいます、「天の誓い」。
井戸の上にある例のオリ。何も入ってない→
一体全体……
何だか長居したくなかったのでさっさと舗装路に戻り、ウォーキング中の地元民(邪馬台国阿波説支持者…)に質問すると、あのオリはイノシシ捕獲用の罠だそう。
よりによってなんであんなところに~
この後は舗装路をくだって東屋のある最初の道に戻り、舗装終点地へ。
一周約3km、1時間チョイの散策でした。
古墳も5~6個あるし、頑張れば「阿波風土記の丘」に出来そうですが、もう「公園」として確立しちゃってる感じですね、ここ。でもこの来訪者の少なさは、何だか勿体ない・・・・・・
もうちょっと宣伝しても、いいんじゃないかな。
せめて、正確な園内MAPをアップするだけでも、PLZ。