山口旅行の第二次目的地として設定した弥生遺跡・綾羅木郷遺跡(国史)。
本命は他にたくさんあったので「時間が無ければスキップ」と思っていたのですが、下関市街地や一之宮である住吉神社からも近く「弥生時代中心」というのもそうそう無いので、スキップするのは勿体ない感じ・・・
当日は大分県まで日帰りアタックしてましたが、夕方近くに頑張って行ってみました!
↑↑このモニュメントは一体・・・? ↑↑てっぺんに鳥が居る・・・
入館料は常設・企画展ともになんと無料!(特別展は有料)
エントランスに入ると正面に↓↓こんなものがあり、ギョっとします。
↑↑発掘状況再現、全部マネキン 右手のシンプルな受付↑↑を通って廊下をまっすぐいくと、壁には「日本ではここが初出土」という「土笛」の音が聞ける装置あり。
スロ-プをおりていく所↓↓に今度は「土笛を吹くマネキン」
宙に浮いててなんかコワい・・・ スロープ下が展示室↑↑
おお? 三角縁とか土笛とか・・・↓↓ いきなり弥生時代から始まってる!! ↓↓
綾羅木郷遺跡(国史)は弥生時代前期の環濠集落と古墳時代の墓の、複合遺跡です。
出土の確認初出は1898年(M31)ですが、やはり戦後まで放置(笑)
地権を持つ採掘業者が強引に採掘開始しようとしたため、慌てて国指定したとか。
今は遺跡の買取事業も盛んですが、「重機の前に立ちふさがって遺跡破壊を阻止する」なんてマンガのようなモメ方をした遺跡は、日本ではここが初なんだそう。
ここは扇状地でもなく丘でも海岸でもなく、よくある古墳地帯とはちょっと違う感じ。「響灘に注ぐ綾羅木川の右(北)岸」の遺跡密集地帯↓↓です。
図の上方にも史跡たくさん。 ↑↑この綾羅木川の南東に住吉神社(一之宮)あり→→
海の三神である住吉サマの大社があんな内陸にあるってことは、当時の海岸線がもっと近くまであって河の流れもそこまで通っていたはず。一之宮に向かって人が古くから住み着いていたのでしょうね。海運・水運が発達すれば、交易も始まります。一之宮の西の、海との間に連なる古墳群からは朝鮮との関係が深い遺物が出土
↓↓北九州に多い「細形銅剣」と「多鈕細文鏡」の源流は、朝鮮半島↓↓
「朝鮮系無文土器」↓↓
例の「土笛」の展示↓↓ 出土数、結構少ないんだ・・・↓↓
他の展示も充実! ↓↓弥生土器色々 「木葉文」とか「有軸羽状文」とか・・・
皮袋形土器↓↓ 革でなく「皮」・・・?? もしかして動物の内臓の・・・
石器や日用道具、食料色々↑↑ 栗とか貝とか美味しそう
出土品も色々↓↓ 「アワビおこし」って↓↓、アワビを岩からはがすヘラかな。
↓↓裏側(スロープ降り口側)は古墳時代の展示 ↓↓ピンピン山・・・
↓↓古墳模型カワイイ 土師器も色々↓↓ ↓カマド! なんか傾いてる(笑)↓
玉類の展示、ここは環状でした↓↓ 水晶と瑪瑙のオレンジ色、綺麗・・・
終わり近くに「一之宮経塚」(綾羅木遺跡と住吉神社の間と推定される遺跡)から出土したと伝えられる骨董品の展示(経筒とか銅鏡とか?)などもありましたが、時代がアレなのでスルー。
いやあ、展示的には本命より良かったです、考古博物館。
しかし「弥生と古墳に焦点を絞った潔い展示だったわー」と展示室を出た通路には「恐竜の卵の化石」↓↓の展示があって、いきなり白亜紀に(笑) ↓↓復元レプリカ
昭和に発見されてたけど価値が不明なので、2016年まで採集者個人が保管してただけだったんだって。鑑定は福井県の恐竜博物館(←勝山市に住んでた時に行った!イイ博物館!)
↓↓最後に観光情報が並び、最初に見たエントランス正面の現場再現模型に出ます↓↓
よく見たらこれ、「貯蔵用竪穴」(遺跡内に約1000基)の発掘現場で、↑↑左側は「古代の様子の再現」だ。古代人と現代人で同じポーズしてる
ここら辺一帯は珪砂質だそうなので、保存状態も良さそうです。集落を囲む環濠は幅2mというから相当なものですが、弥生住居跡はまだ未発見だそう。それでもあくまで弥生時代メイン、良い展示でした・・・
最後、ミュージアムショップは無いのですが、受付で販売している館発行の書籍類がものすごく豊富。現金オンリーなのでありったけの札をはたきました ↓↓
ホクホクで退館したあとは、博物館の北西にある遺跡区域へ。
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↓↓館の裏手にある弥生時代の復元住居は、同時代の別の遺跡を参考にしたもの
↓↓「岩屋古墳」(6C後半、直径13.65m)中国道建設により、ここに移設。
墳丘高さ80cmの「若宮二号墳」(6C後半、直径6.4m)↑↑
復元前ここは畑で、破壊されまくってたそう。よくここまで整備できたなあ・・・
↓↓そして主役「若宮一号墳」(5C半、墳丘全長39.7m、横穴式石室&箱式石棺)
芝生が緑の時期なら綺麗だろうなあ。「石葺きで墳頂にハニワが並べられていた」そうだけど、配列が解明されてないせいか完全復元してもらえてない・・・・・・残念 この古墳の向こう側に山陰本線が通っていて、「梶栗郷台地駅」がすぐソコ。
↓↓こちらは弥生時代の墳丘墓。
実は公園内は子連れパラダイスで、若っプルが幼児と一緒に↑↑この墳頂でピクニックしてました 奇しくもこの墳頂には、大中小・極小の石棺があり・・・・・・つまり「父母子供&幼児?の合葬では」と想定される墳墓。彼らはその家族の石棺にまるで掘りごたつかのように脚をつっこみ親子で飲食してたわけです ひいい・・・ヨモツヘグイ並みの縁起の悪さ
いくら保全被覆の上に復元したモノといえども、こういう「物事のアレコレを考えようともしない親」に育てられる子供は苦労しそう
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なお、地図でここより西に「綾羅木一号公園」という表記を見つけ、すっかり「一号墳跡を整地して公園にしたのか!」と思い込んで「行くリスト」に入れてましたが、冷静になって読んでみればどこにも遺跡とは書いておらず、普通に公園でした。