Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

博物館◆富山市考古資料館

2015年の「発掘された日本列島」は、富山展を見ることにしました。
 
富山―――金沢よりも福井よりも断然大好きな土地です。
が、富山旅行すると行くのはどうしてもブリで白エビで古社の多い西部(氷見射水)ばかり。今回はせっかく(初めて)富山市に行くのだから、式内社の他にも何か無いかな~と重点的に調べたら・・・・・・ありました、弥生遺跡
 
越中平野のド真ん中で南北に横たわり射水市富山市を隔てている「呉羽丘陵」に、縄文~古墳時代の墳墓や住居跡が密集しています。例の竹内文書のあそこやお城址動物園まで何でもアリ。
なんと、山陰(出雲・吉備)発祥と言われる「四隅突出型墳丘墓」(略して「四隅」)も・・・!!!
「出土物は呉羽山民俗民芸村にあります」――― 行ってみました
 
   富山市考古資料館 富山市安養坊47-2)    
民俗民芸村は、民芸館や篁牛人記念美術館などから成る、市民芸術学習のエリア。
イメージ 5←考古資料館はその中の北東にあり、民芸合掌館にある「南側P」(無料)に停めると一番近そう。
 
小さい建物です。入口もどこかの公民館のよう(スリッパに履き替え・・・)。トイレは外付け。展示室も小さい。観覧100円。
が、内容は充実していました。縄文の小竹貝塚に始まり、弥生の「四隅」に古墳に瓦窯跡(奈良時代)。出土物もいいし、掲示説明も
  ↓↓サイズ的にもデザイン的にも「・・・・・・ビアマグ?」縄文土器
イメージ 7良い泡が立ちそう。欲しいなこれ。
小部屋には、市民が富山のみならず全国各地の遺跡から採集しちゃった遺物「寄贈コレクション」が・・・・・・(昔は遺跡の保存とか所有とかいい加減でしたからねえ というか、出土地に返還してあげたらいいのに)
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ここ、世間一般的な博物ファンには ↑↑このマスコットキャラで有名みたいですが。
図録も専門的なものが揃っていて、見た目に反してかなり良かったです。思わず「日本海文化公開講座資料集」まで買ってしまった
(そういえばここ、ネット地図では日本海文化研究所」になってましたっけ・・・)
 
大体、この呉羽丘陵から南の長沢地区・富崎地区までの南北に横たわる広~いエリアにここまで遺跡史跡が集中しているんだから、「風土記の丘」造ったっておかしくないと思うんですよ、富山市
でも範囲も時代も広すぎるのか、既に独立館があるからまとめられないのか、費用が無いのか(←多分これ)、そういう話も無いみたいで・・・・・・。
 
おかげで施設が分散しまくりで、興味のある縄文~弥生時代モノだけを周るのに1日かかりました。
 
そんな遺跡さんたちは、こちら↓ (正確な場所は「インフォマップとやま」で確認できます)
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こんなに綺麗なMAPをネット上にも載せているから勘違いしてしまったのですが、復元は全くされていませんし、整備もほとんどされていません。見られるとしたら、「婦中ふるさと自然公園」の周辺の、王塚エリアくらいでしょうか。
 
<王塚・千坊山史跡群> 国史跡       北は右→
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●勅使塚古墳前方後方墳
自然公園の中池に隣接するP(赤い「現在地」のところ。WCあり)に駐車。
すぐ目の前にある東屋から階段を登って行く道は廃道チックなので、少し東に戻ったところ(上図右下にある親子のイラスト辺り)にある登り階段から入るのがオススメです。
どちらにしてもかなり鬱蒼としていて、誰も来ないらしく蜘蛛の巣が張り、地面はキノコ大繁殖。
 
                          この画像で見えている墳丘は後方部↓ 前方部はもっと左
この辺り)にあり、かなり低くて小さい(復元してないので削られたまま)。。全景は撮れませんでした。
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ここから更に五ツ塚へ行く道は倒木でふさがれ鬱蒼としており、蒸し暑くてもう、行く気無くした・・・・・・ 
さて、車に戻って中池から北へ進み、一番上の「公園入口」↓から一般道へ出ます。   北は右→
イメージ 13
●王塚古墳前方後方墳婦中町羽根
この史跡群のメイン。かんぽの宿とやまの敷地北部にあり、舗装車道(↑上図の「町道羽根新町線」)から入れます。Pはすぐ近くにはないので、やはり自然公園のP(上図中央、かんぽの宿の南側。無料)へ。
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北西側の車道から撮影↑  
ここはアクセスが良いため比較的綺麗で、訪れた時は草刈機で除草中。
晴れていたら公園から立山連峰がドカンと見えるらしく、一番見晴らしの良い処です。
 
●六治古塚墳墓(ろくじこづか・四隅) 婦中町外輪野
Wにとって一番の目玉!
この地に残る三輪山伝説の異形 「六治古伝説」に因んだ塚!!
・・・・・・は看板があるだけで、本体は半分民家敷地内、半分は雑木林に埋もれて見られませんでした↓↓  ※現在はとある企業が建っている模様・・・(2020年
イメージ 11 ←墳墓想定方向を撮影・・・
国史跡なのに   
一番期待していたのに
 
「四隅」は弥生時代中期に山陰で発祥、弥生晩期になって北陸・信濃へ数箇伝播した日本海側特有の墳墓。信濃には現在1基しか確認されていませんが、ここ富山の丘陵には10基もあります。
 
しかしもっと南の富崎墳墓群(オール四隅)も富崎古墳群(ほとんど方墳)も、南群の下にあるPマーク(閉鎖。横に停められます)のところに看板があるだけで本体は藪の中。Pから上は丘の夢牧場で「私有地。関係者立入禁止」の看板が・・・
うう・・・そんなバカな・・・っ 復元されている四隅は無いんですかあ~??
 
復元されてる墳墓は一つも無いです。(←即答
数箇所整備はされていますが、実際行くとなると・・・しかも四隅・・・ う~ん・・・・・・
あ、富山大の近くの四隅なら比較的簡単に見られますよ!」(考古資料館員:談)
富山大って・・・・・・すぐ近くにある五福のあそこ? 遺跡MAPではあんなところに四隅は無いけどなあ・・・ 翌日、やっぱりど~しても「北陸の四隅」の実物を見たくて埋文センターに聞いたら
「昔の医科薬科大が、今は富山大の杉谷キャンパスで。そこにあります。」
とゼンリン地図を広げて場所を教えてくれました。
 
<杉谷4号墳> 富山西ICから約2分!  婦中町友坂
呉羽丘陵から県道59号線を南下し「安田」交差点を過ぎ、高速高架を過ぎて2つ目の交差点を右折して県道68号へ入り、右手に熊野神社(式内!出雲系!)と寺を見流して富山大の入口を過ぎると、↓ 右側の雑木林が切れたところに標柱が。
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この西側に広いPがあるのですが、それは建設会社のPらしく、「関係者以外停めるな」という旨の看板あり。埋文の方も「そこに停めないようにクレームが来てるようなので、路駐した方が・・・」。
でもこの県道68号、結構交通量がありまして・・・
墳墓の東側にはフェンス越しに富山大のP(有料?)があり、そのPからちょっと北でフェンスが途切れ、墳墓へむかって獣道がついているので、平日なら富山大Pに停めた方が良さそうです。
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 ↑王塚エリアとは違って綺麗に整備された階段を登ると・・・・・・ホントだ。四隅だ。
イメージ 3
画像中央部分からこちらにむかって尾根が延びて↑います。
             そして右側の奥にも、脚が延びている・・・
わかるかな?? だいぶ崩れていてはっきりした形は残っていませんが、うん、方墳じゃなくて四隅です、これ。元は一辺25m、高さ約4mだったそう。
 
出雲の「四隅」は葺き石され周溝は浅く(数十cm)幅も狭い(1mも無い)のですが、北陸の「四隅」は突出部が舌状で15mもあって、葺き石は無く、周溝はすごいところで深さ1~2m幅8m―――とか。
 
出雲の四隅↓↓ イメージ 12
ここまでやれとは言わないが・・・・・・北陸の四隅も、どれか一つでも復元してほしい。