Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

発掘された日本列島2022

去年は3館開催だったので「いよいよ閉幕か??!」とドキドキしてましたが・・・・・・今年も無事決まりました、速報展

 埼玉県立歴史と民俗の博物館さいたま市大宮区)    6月11日(土)~ 7月18日(月/祝)
だて歴史文化ミュージアム(北海道伊達市   7月30日(土)~ 9月  4日(日)

石巻市博物館宮城県石巻市) 【東北】

  9月17日(土)~10月23日(日)
宮崎県総合博物館宮崎市) 【九州】 11月 5日(土) ~12月11日(日)
 なら歴史芸術文化村  奈良県天理市)     1月 7日(土) ~  2月12日(日)

 

去年より開催地が増えてるし、大宮市と天理で開催する・・・!!
けど、江戸東京博物館がはずれてる・・・・・・ こんなの初では?!

確かに東京の展示会は、その分野に興味も無い「文化的な活動をしたいだけの有閑人」が集中して大混雑するから(特に上野エリアでシニア)、分散した方が本当に求心している人にとっては便利かな。大宮なら北関東や信越からの交通の便も良く新幹線も通ってるし、武蔵国一之宮に隣接してるし。まあ、大宮駅からは遠いけど(笑) 本当に観たいと思えば簡単に行かれるでしょ。うん。
あ~でも、またしても北海道展示が真夏になってる

まだまだ発掘事例は少ないけれど、こういうのは一度中止されちゃうと復活が大変です。継続は力なり。今年も、行くぞ――!!(天理希望!!でも真冬はイヤ~💦)

風土記の丘★さきたま(埼玉県) 

大宮市で育ったので遠足で2回、親族と3回は行ったでしょうか。
この遺跡敷地内を通過する「鉄剣マラソン」というのがあって、父がそれに毎年参加していたもので。30年ほど前までの話。
そのため一人でじっくり観覧したことは一度もなく、記憶にもほとんど残っていないという「風土記の丘」二番手、さきたま
C98(2020年GW)のついでに行こうと予定していましたが、コロナ禍で延期。
2021年冬コミ(C99A)でやっと行かれました。

◆◇◆◇ さきたま古墳群 行田ぎょうだ◆◇◆◇

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最寄駅はJR高崎線行田駅東武秩父線行田駅の方が距離的に近くも、遺跡前のバス停はJR行田発の路線です(東武行田発のバス停は遺跡入口から1.2km西)。
高速は羽生ICが一番近いですが、長野県からは関越を南下し本庄児玉ICでおりて下道R17「深谷バイパス」へ。Pは入口の反対側で、広々無料
歩道には県章「勾玉16、心の輪」↓↓     いや、もういいよ世界遺産は・・・↓↓

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2020年に国史から特別史跡へ昇格したのも、この前準備↑↑だという噂・・・

「さきたま」の漢字は「埼玉」ですが、元は「前玉さきたま」で、この埼玉県北部に8Cからあった郡の名称です(@正倉院文書)。意味的には「先珠」または「幸魂」。
東京都との境にかけられた「幸魂大橋」の由来もコレですね。

この埼玉さきたまが県内最大の郡だったため、廃藩置県の時の県名に採用されました。
県庁所在地や経済の中心は最南部なのに・・・
そのため、博物館へのアプローチ左手に「埼玉県名発祥之碑」があるのですが、大宮市民だった私は思わず舌打ち。忌々しくて写真を撮るのも忘れた(笑)
かと言って「入間県」もイヤだし、実は「氷川県」も・・・氷川神社、好きだけどゴロが悪いし、なんだか冷たそうで関東気候に合わない。落ちたら凍死しそう。
せめて漢字を「幸珠」にするか、いや、読みを埼玉さきたまにさえしてくれれば、古代っぽくってすごく良かったんだけど。。。。

だから長野県民のキモチ、わかります(大笑) ただの村名を「有名な善光寺の所在村だから」って県名に採用するなんて、埼玉より酷い。筑摩県も更級県も一地域すぎて論外。信濃県で良かったのに。全ては旧国名を嫌った明治政府の意地のせいです

気を取り直して。まずは博物館へ。

さきたま史跡の博物館 

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ここはこの古墳群の出土物展示だけのための博物館で、入館料は常設・企画合わせて誰でも¥200と格安。その分、エンターテイメント性は皆無。
県立といえどもメイン(=経費が多いの)は人口過多な大宮区の、県内全域と全時代を網羅する 歴史と民族の博物館氷川神社の北)なんだろうな・・・ ←遠足で一回入ったことある。

この「国宝展示室」が常設展示室↓↓ 入口入ったら右へ→

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その手前は勾玉造り専用室?「さきたま体験工房」↑↑
ここは玉造工房跡が出たわけでも、良質の玉類が大量に出土したわけでもないけど(笑)名称に引っ張られたんでしょうね。おかげで県章もアレだし。

まずは、発掘から整備の記録の↓↓パネル展示エリア↓↓

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↓↓次のロビー空間に年表や古墳対比表や古墳グッズ(ここでは売ってない)が展示。

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 お、空撮↓↓    近畿(左端)に比べると、この関東の古墳の小ささよ・・・↓↓

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右端が群馬県、中央は全部埼玉県(赤いのが「さきたま古墳群」の古墳)↑↑
いよいよメインルーム↓↓ ここは撮影条件がきちんとしてます↓↓

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卓状の展示ケースは上から撮ってはいけないとか、自撮りも禁止とか。。。それだけじゃなく、鉄剣(国宝)の展示ケースにピント合わせながらジリジリ接近しようものなら、係員に速攻止められてました(笑)↓↓

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多分ぶつかってガラスを割ったり、落っことしてケースを壊したりしたヤツが実際居たんでしょう。でも、国宝をそんなモロいもので展示するのが間違いでは??

どちらにしてもここは反射が激しく、真正面から撮ると自分がモロ写ってしまうので、全体的に斜め&横から撮影。ガラスに傾斜つけるとか、照明角度を考えてくれるとイイんですが、古い博物館は中々難しいですね。 展示される唯一の勾玉↓(国宝)

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 国内の銘文刀剣一覧↑↑ 最古はやっぱり七支刀(奈良・石上の神宝)
国宝なのはこの七支刀と、ここの稲荷山鉄剣と、熊本の江田船山鉄剣の3つ。。。
素材や製造年よりも、刻まれた文字の多さが決め手かな?

さりげなく安閑紀の武蔵国造争いの記事」もありました。武蔵国は広くて、現在の埼玉県、東京都、そして神奈川県北部も含むのですが、解説展示は「なぜ北端のこの地が国造の本拠地として栄えたのか?」の解の1つになっています。

解説パネルも多く、中々でした。1969年(S44)開館の老舗の割には頑張ってる。って、そりゃ1983年(S58)に国宝指定された出土品たちを取り戻すためには、頑張るしかなかったですよね
受付でカタログやトートバッグを売っていましたが、ミュージアムショップが無い点も頑張ってほしいところです。

企画展示室では「動物のはにわ展」↓↓をやっていたので、そちらもチラ見。

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                    作り方解説!これはイイ↑↑

では、古墳巡りに行きましょう。

「さきたま古墳群」は大小含めて33基、本来は40基あったのでは?という古くからの国史跡(1938、S13)で、大型9基+αが敷地内に整備されています。しかし、葺石復元はゼロ(というか葺石していた古墳がほとんど無い)、完全復元(石室含む)もゼロ。
すぐ北の群馬の古墳9割が葺石だったのに比べると、凄い違い。

芝生が生い茂るのっぺりした古墳たちが高低差の全く無い平地に優雅に横たわる、そんな特別史跡。。。。。迫力な(無)~~~f:id:wistorian:20190926193801p:plainf:id:wistorian:20190926193801p:plain↓↓↓ (しかも茶色い・・・)

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これに慣れてしまっていたから、子供の頃は古墳・・・まして古代には、全く興味が無かったんです だって田舎の風景そのままなんだもの。のどか過ぎる。。。。

入口近くには「はにわの館」(工房?)と屋根付きの大きいレストハウスがあり、イベントも出来そう↓↓

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その横に「瓦塚古墳」(墳丘長73.4m/6C前半の前方後円墳、内部未調査)↑↑。 形象埴輪が多数出土。右奥に見えるのは↓↓二子山古墳かな・・・?

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ここの前方後円墳はみな二重の方形周溝だそうです↑↑ ちなみに各古墳の大きさ対比はこんな感じ↓↓    ↓丸塚古墳 ↓稲荷山古墳  上が北。 丸塚↓古墳  稲荷山↓古墳

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さすが、全9古墳の全てが国土地理院でハッキリ等高線に出てる↑↑ 将軍山古墳はガケ表記されとるし愛宕山古墳は「ま」の処)。しかし、まずは東の前玉神社へ参拝するのが礼儀でしょう。

前玉神社 式内、旧・郷社

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実はこの神社、浅間塚古墳(高8.7m墳径50m/7Cの円墳)の墳頂に本殿が建ってます。
こんな式内は他に無い・・・・・・後代に古墳を利用して建てられた神社と違い、「古墳築造時の施設がそのまま神社になった?」と思える状況。
この古墳を疑似登拝用の富士山に見立てて近世浅間神社が勧請され、今はそちらの方が強い模様。境内には登拝記念碑が乱立し、最初の階段を登った右手に浅間神社が↓↓

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社殿は墳頂↑↑ 参道は北東から延びているのですが、古墳を時計周りに半廻りし、南東を向く社殿へ急階段。階段下には万葉歌碑でもある↓↓石灯篭(1697年村民が奉納)

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中世日本庶民の教養高っ
祭神は『神社名鑑』によれば前玉命ですが、神社HPでは「前玉彦命・前玉姫命の二柱」。延喜式の記載は「前玉神社二座」なので、元々二柱祀っていたのを『名』では省略したようです。このエリアに濃い出雲との関りを示せるのは「大国主の後裔」である前玉姫命の方ですから、まさか一時期廃祀してたなんてことはないだろうし・・・
眺望は無いですが、↓↓彫刻も素晴らしく良い神社でした。

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しかし境内は、浅間神社の祭神の幟で一杯・・・↑↑ 神事も浅間関係ばかりf:id:wistorian:20190926193801p:plain「めでた好き」の江戸っ子め 一の鳥居(1672年製、額は「富士山」・・・)横の金澤製菓では、「古墳最中」(円墳?)や「まが玉最中」を売っています。
ここから「明治神社」の左手へ抜けて、南エリアへ―――

< 鉄砲山古墳 > 墳丘長107.6m高9m/6C後半の前方後円墳

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南エリアで一番大きい古墳。円筒埴輪や土器が出土。後円部に横穴石室アリ(調査は??) こっちエリアで凄いのは文部省の「石(?)の注意看板」↓↓ 

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「古墳の形に変化をおよぼすようなことをしてはいけません」
「古墳の立ち木をみだりに切ってはいけません」
「みだりに古墳の上にあがらないようにしましょう」
石標は「埼玉村」だし 一体いつのだコレ・・・ 立木なんて一本もナイぞ

この影響か「さきたま古墳群」は珍しく「古墳は登ってはいけないもの」と決まっていて、その旨園内にハッキリ提示されています。「登れる古墳」は階段が設置されている稲荷山と丸墓山のみ。その他の、整備されただけで復元していない「登れない古墳」は、どれも似たようなもので・・・

「中の山古墳」は墳丘長79m高5.5m/6C末以降の前方後円墳。前方部の方が高いとは・・・

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ここの須恵器質の埴輪は末野遺跡(ここより西の寄居町)の窯で造られたモノだとか。
「奥の山古墳」は墳丘長66.4m高m//6C半の前方後円墳。子持壺などの須恵器出土。

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  ↑↑12月末で水仙                右手奥は鉄砲山古墳↑

ここで一度Pの車に戻り、栄養補給してから北エリアへ。

< 将軍山古墳 > 墳丘長90m現高19m/6C後半の前方後円墳

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後円部に横穴式石室大和朝廷影響のインフラ)があり、明治に発掘された効果か、ここだけハニワが再現。&横に↓↓展示館(入館は16時まで)を設置。

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ここに石室が復元されてます。蛇行状鉄器や馬冑など、副葬品も豪華に↑↑ 入館料は¥200ですが、博物館のチケットで入れます(逆もOK)。南西にはPあり。


< 稲荷山古墳 > 墳丘長120m現高24m/5C後半の前方後円墳

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1998年(H10)までは前方部が崩壊して「円墳の状態」だったのを、6年かけて復元。
鉄剣出土が1968年。文字発見はその10年後(1978、S53)で、本当にその頃から、遠足やらマラソンやらで行ってた。。。後円部に横穴石室があり↓↓、埋葬施設2基。

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↑↑墳頂にはその石室の実物大の礫郭と粘土槨を展示。

 

< 丸墓山古墳 > 墳丘径105m高35.7m/6C初の円墳

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円墳としては日本一の大きさで、この古墳群の中でも一番高いので眺望一番☆
   富士山↓   ↓↓たぶん雲取  ↓甲武信岳かな??

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 南アルプス↓↓   八ヶ岳蓼科山↓↓     浅間山↓↓ 右手には赤城山

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↑↑稲荷山古墳の左奥に見えるこれは、多分筑波山、だなあ・・・ すごい丸見え。
そしてここだけ、葺石の可能性があるそうです。おお!
この古墳から忍城がよく見えたため、石田三成忍城攻めに利用されたとかで、ここからPまでの道が「石田堤」↓↓なんだそうな。あー・・・確かに浅間山の手前右手に忍城の櫓、見えてる・・・  ↓↓このエリアは桜だらけなので、春は市民が多そうf:id:wistorian:20190926193801p:plain

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< 二子山古墳 > 墳丘長132.2m現高30m/6C前半の前方後円墳
県内第一位のサイズの前方後円墳。でもやっぱり地味・・・

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実はほんとどの古墳が「内部未調査」。正確な石室の位置がわかるまでは発掘不可、なんでしょうか。だったらこの二子山古墳は石室の位置が推定されているので、近いうちに「世紀の大発掘」のニュースを聞くことになる・・・かも、しれませんね?


P横の愛宕山古墳」は墳丘長54.7m/6C後半の前方後円墳

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円筒埴輪・形象埴輪が出土。現在はここをレーダー探査しているようです。
ここも墳頂に愛宕神社とか建てられちゃってたんだろうな・・・と思ったらその旨HPに載ってました(今は石仏)↑↑
全く・・・f:id:wistorian:20190926193801p:plainf:id:wistorian:20190926193801p:plainどうしてこう、小さい丘を見ると神社建てちゃうんでしょうね日本人は。 あ、ここは一番小さいので、整備ではなく、いつか復元してくれるかも‥‥

(完)

博物館/弥生時代◆下関市立考古博物館(綾羅木郷遺跡:山口県)

山口旅行の第二次目的地として設定した弥生遺跡・綾羅木郷遺跡国史)。
本命は他にたくさんあったので「時間が無ければスキップ」と思っていたのですが、下関市街地や一之宮である住吉神社からも近く「弥生時代中心」というのもそうそう無いので、スキップするのは勿体ない感じ・・・

当日は大分県まで日帰りアタックしてましたが、夕方近くに頑張って行ってみました!

◆◆◆◆ 下関市立考古博物館山口県下関市◆◆◆◆

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↑↑このモニュメントは一体・・・? ↑↑てっぺんに鳥が居る・・・
入館料は常設・企画展ともになんと無料!(特別展は有料)
エントランスに入ると正面に↓↓こんなものがあり、ギョっとします。

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↑↑発掘状況再現、全部マネキンf:id:wistorian:20190926193801p:plain 右手のシンプルな受付↑↑を通って廊下をまっすぐいくと、壁には「日本ではここが初出土」という「土笛」の音が聞ける装置あり。

スロ-プをおりていく所↓↓に今度は「土笛を吹くマネキン」 

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宙に浮いててなんかコワい・・・ スロープ下が展示室↑↑
おお?  三角縁とか土笛とか・・・↓↓   いきなり弥生時代から始まってる!! ↓↓ 

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綾羅木郷遺跡国史)は弥生時代前期の環濠集落と古墳時代の墓の、複合遺跡です。
出土の確認初出は1898年(M31)ですが、やはり戦後まで放置(笑)
地権を持つ採掘業者が強引に採掘開始しようとしたため、慌てて国指定したとか。
今は遺跡の買取事業も盛んですが、「重機の前に立ちふさがって遺跡破壊を阻止する」なんてマンガのようなモメ方をした遺跡は、日本ではここが初なんだそう。

ここは扇状地でもなく丘でも海岸でもなく、よくある古墳地帯とはちょっと違う感じ。「響灘に注ぐ綾羅木川の右(北)岸」の遺跡密集地帯↓↓です。

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図の上方にも史跡たくさん。 ↑↑この綾羅木川の南東に住吉神社(一之宮)あり→→

海の三神である住吉サマの大社があんな内陸にあるってことは、当時の海岸線がもっと近くまであって河の流れもそこまで通っていたはず。一之宮に向かって人が古くから住み着いていたのでしょうね。海運・水運が発達すれば、交易も始まります。一之宮の西の、海との間に連なる古墳群からは朝鮮との関係が深い遺物が出土

↓↓北九州に多い「細形銅剣」「多鈕細文鏡」の源流は、朝鮮半島↓↓

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「朝鮮系無文土器」↓↓

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例の「土笛」の展示↓↓    出土数、結構少ないんだ・・・↓↓

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他の展示も充実! ↓↓弥生土器色々  木葉文」とか「有軸羽状文」とか・・・

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皮袋形土器↓↓  革でなく「皮」・・・?? もしかして動物の内臓の・・・

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          石器や日用道具、食料色々↑↑  栗とか貝とか美味しそう
出土品も色々↓↓    「アワビおこし」って↓↓、アワビを岩からはがすヘラかな。

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↓↓裏側(スロープ降り口側)は古墳時代の展示    ↓↓ピンピン山・・・

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↓↓古墳模型カワイイ  土師器も色々↓↓ ↓カマド!  なんか傾いてる(笑)↓

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玉類の展示、ここは環状でした↓↓  水晶と瑪瑙のオレンジ色、綺麗・・・

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終わり近くに「一之宮経塚」綾羅木遺跡と住吉神社の間と推定される遺跡)から出土したと伝えられる骨董品の展示(経筒とか銅鏡とか?)などもありましたが、時代がアレなのでスルー。

いやあ、展示的には本命より良かったです、考古博物館。
しかし「弥生と古墳に焦点を絞った潔い展示だったわー」と展示室を出た通路には「恐竜の卵の化石」↓↓の展示があって、いきなり白亜紀に(笑) ↓↓復元レプリカ

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昭和に発見されてたけど価値が不明なので、2016年まで採集者個人が保管してただけだったんだって。鑑定は福井県恐竜博物館(←勝山市に住んでた時に行った!イイ博物館!

↓↓最後に観光情報が並び、最初に見たエントランス正面の現場再現模型に出ます↓↓

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よく見たらこれ、「貯蔵用竪穴」(遺跡内に約1000基)の発掘現場で、↑↑左側は「古代の様子の再現」だ。古代人と現代人で同じポーズしてる

ここら辺一帯は珪砂質だそうなので、保存状態も良さそうです。集落を囲む環濠は幅2mというから相当なものですが、弥生住居跡はまだ未発見だそう。それでもあくまで弥生時代メイン、良い展示でした・・・

 

最後、ミュージアムショップは無いのですが、受付で販売している館発行の書籍類がものすごく豊富。現金オンリーなのでありったけの札をはたきました ↓↓

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ホクホクで退館したあとは、博物館の北西にある遺跡区域へ。
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↓↓館の裏手にある弥生時代の復元住居は、同時代の別の遺跡を参考にしたもの

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        館の西側の古墳時代の復元住居はここ綾羅木郷のもの↑↑

↓↓「岩屋古墳」(6C後半、直径13.65m)中国道建設により、ここに移設。

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墳丘高さ80cmの「若宮二号墳」(6C後半、直径6.4m)↑↑
復元前ここは畑で、破壊されまくってたそう。よくここまで整備できたなあ・・・

↓↓そして主役「若宮一号墳」(5C半、墳丘全長39.7m、横穴式石室&箱式石棺)

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芝生が緑の時期なら綺麗だろうなあ。「石葺きで墳頂にハニワが並べられていた」そうだけど、配列が解明されてないせいか完全復元してもらえてない・・・・・・残念 この古墳の向こう側に山陰本線が通っていて、梶栗郷台地駅がすぐソコ。

↓↓こちらは弥生時代の墳丘墓。

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実は公園内は子連れパラダイスで、若っプルが幼児と一緒に↑↑この墳頂でピクニックしてました 奇しくもこの墳頂には、大中小・極小の石棺があり・・・・・・つまり「父母子供&幼児?の合葬では」と想定される墳墓。彼らはその家族の石棺にまるで掘りごたつかのように脚をつっこみ親子で飲食してたわけですf:id:wistorian:20190926193801p:plain ひいい・・・ヨモツヘグイ並みの縁起の悪さ
いくら保全被覆の上に復元したモノといえども、こういう「物事のアレコレを考えようともしない親」に育てられる子供は苦労しそう

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なお、地図でここより西に「綾羅木一号公園」という表記を見つけ、すっかり「一号墳跡を整地して公園にしたのか!」と思い込んで「行くリスト」に入れてましたが、冷静になって読んでみればどこにも遺跡とは書いておらず、普通に公園でした。

博物館/弥生時代◆土井ヶ浜遺跡(山口県)

ワタクシ、出雲を追いかけ始めた30年前に思ったのです。
日本海流の向きと朝鮮半島との位置関係から言って、山口県西部に大きな遺跡が  無いと都合が悪い  あるはずだ――と。

なのに関門海峡より北では、九州側には糸島や沖津島など重要地がウゾウゾあるのに、山口県側には無い。。。そこでWindows95以前に頑張って書物で調べたら、ひっかかったのがここ、土井ヶ浜遺跡でした。
位置的にも「半島から流れてきたらまずはここにひっかかりそう」な場所。絶対、(私にとってイイ感じの)何かが、ある!

でも山口県って、八幡と住吉が強すぎて。。。歴史的にも神功皇后以降は江戸幕末一強。神社&遺跡巡り旅行の行先としては最下位クラス(というか最下位)でした。
やっと行かれた

◆◆◆ 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム下関市豊北町◆◆◆

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 ↑↑ ゴ、ゴボウラ貝・・・??? ってことは・・・この遺跡、貝輪が出土してるな?!

しかしこの博物館、かなり不便な場所にあります。
バスがあるから誰でも来られますが、高速から遠くローカルJRからも外れた地・・・まあ、他市民は普通、よほどこの遺跡に興味なければ来ません。一番近い観光地「角島大橋に行った帰りに通りがかる」程度。奇祭・サバー送りも、あまりこちら側は通らないようです。車移動とて周辺に普通の宿泊施設が無いから、Wもスケジューリングには難儀しましたf:id:wistorian:20190926193801p:plain ↓↓おかげで時間が妙に余り、逆に「土井ヶ浜ついで」の角島・・・

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下関市街地からはR191を約42km北上。左側に左折を促す看板が出てきます。この1本先のY字で左折して石鳥居(神功皇后神社)の下を通った方が近いけど、すれ違い不可能な狭さなので看板通りにした方が良いです。

看板で左折して広い道を進むと次の看板では右折指示、T字の行き止まり右手が遺跡、博物館、公園をまとめた「土井ヶ浜弥生パーク」T字を左へ行くと、土井ヶ浜海水浴場)。PはこのT字の手前左側でそこにWCもありますが、T字を右に行くとすぐ左に「お祭り広場」(未舗装)↓↓があり、通常はそこにも停めてOK。

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P西端には7年に1度おこなわれる「浜殿祭」の「お旅所」↑↑ 山側に坐す「厳島の神」と海側の「蛭子の神」の男女が出遭う民俗的な神事だとか・・・次回は2025年。

↓↓こういうボロ看板を放置している時点で悲哀が・・・

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博物館は¥200とこれまた激安。割引情報を見ると、市立っぽい。館内MAP↑↑ 右下は書籍や観光などの情報コーナーらしいのですが、訪問時は企画展示室(地元の和菓子展)になってました。

まずはシアタールームで「よみがえる弥生人~日本人のルーツを追って~」を拝見(貸切)↓↓ この観客席は、「渡来人の船」設定???

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両サイドには子供向けのQ&Aの端末が並んでいて↑↑、シアター前後に理解度の確認が出来ます。「地元の学校向け」「修学旅行向け」の構成にすれば団体が来るから、手堅いよね・・・というか、「そうしないと誰も来ない」のは地方の博物館の共通問題。

それにしても、長年の研究と交流から色々なことが解明されているんですねえ。。。

常設展示↓↓       ↓↓「英雄」の再現図

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出土した人骨は、特徴のあるものだけ愛称がつけられています。↑↑この「英雄」14個の石鏃と一緒に出土。1個は骨盤に刺さっていて、そこに傷も集中しているので「多分、戦死したのだろう」=「戦士だったのだろう」ということに。

出土場所のジオラマ↓↓  遺跡にはドームが設置され、屋内展示が見られます。

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土井ヶ浜遺跡国史)は、弥生時代の集合墓地です。
「弥生の遺跡」として昭和から有名すぎて、なのにその後にもっと華やかな弥生遺跡(吉野ヶ里、加茂岩倉)が発掘されたせいか、すっかり忘れ去られているような扱い・・・・・・実際、学術新書には全く出てこない。
「何故だ?」と思っていたけれど、大規模な建造物も豪華な出土品も無いとなると、やっぱり一般人にとっては地味、なんでしょうねえ・・・・・・

それでもなんでここが昭和には有名だったかというと、弥生時代としてはトップを誇る「膨大な埋葬数」「砂浜に葬られたという特異性」のおかげです。

この遺跡・・・というか人骨、の発見記録の初出は1931年(S6)。
その前から「土井ヶ浜では人骨が出る」と知られていて、それは13Cの元寇の時の遺体だと思われていたけれど、調査してみると古墳時代の人骨に近いと判明し―――たのに、更に放置(笑)
戦後1952年の貝製品(副葬品)発見で、ようやく弥生時代の人骨だとわかって、九州大学主導による発掘が始まったそうです。

掘れば出るわ出るわで、現在の累積人骨は約300体。遺跡保存は1978年。
今のところ最後の調査は2000年に終了してますが、まだ「掘れば出る」んでしょうね。

人骨から民族の起源や風習(信仰や抜歯など)、栄養状態や生活習慣までわかるので、漫画を描く上でも大変良いデータを与えてくれます  日本人の性別平均身長↓↓

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そして、ここが人骨以上に展示に力を入れているのが貝輪↓↓

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貝輪縄文時代には無い、南方由来の弥生のアイテムです。そうか、弥生時代のアイコンとしてこれから貝輪を使えば‥‥って銅鐸より地味だな

貝の自然形状である「渦巻について」の考察パネルもあり・・・↓↓

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ホントは「貝輪の実物」が欲しいのですが、ミュージアムショップでも中々無い。もちろんこの博物館にも売って無いし、体験展示の貝輪レプリカ(腕に嵌めてみてね☆系)がコロナのせいで↓↓使用禁止になっていて・・・っ

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嵌めた状態の画像が欲しかったのに  仕方ないので様々なアングルから激写↑↑

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南方には貝製の指輪やネックレスもあるのか・・・↑↑

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土器もチョロっと↑↑丹塗り多いですね・・・   ここでも貝殻の話題に↑↑

3Fの展望台は大して高くないため海も見えないので、実際の景色より解説の画像の方がわかりやすいという始末。

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周辺の遺跡の解説↑↑ 東の片瀬遺跡B区には「弥生時代の水田跡」があるとか、南には
「弥生前期の集落遺跡」があるとか・・・・・・ 2Fは何も無かったけど、収蔵庫かな?

さて、館内は堪能したので、博物館南東の土井ヶ浜ドームへ↓↓

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土井ヶ浜遺跡で最も人骨が集中して出土した場所にドームを設置し、レプリカ展示↓↓(この部分以外は砂で覆土して埋め戻し) 雰囲気ありますねえ・・・

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現在の海岸はここより450mほど北西ですが、当時はここが海岸だったんですね。
砂浜に含まれる貝や有孔虫のカケラが砂をアルカリ性に傾かせるおかげで、人骨の保存状態が良かったのだとか。

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ここの人骨は渡来系の要素が強いそうで、例外もあるけれどほとんどが「肘と膝をまげて」「浅い穴にそのまま」「仰向け」で埋葬。多くは首がやや立てられているので、まるで「皆、海の向こう(北西)を向いている」状態(↑↑画像では左の方)。
北西・・・つまり朝鮮半島の方です。

この長門国の西岸にある式内神社の参道もことごとく西方へ向いており、標高からすると古代はその門前までが海。海系神社でもないのに海の方向を重視することはあまり無いので、全て渡来人が祀る社だったのでしょうか。
西を尊ぶ出雲の風習に近いものも感じます。

でも「故郷の方を向いて埋葬」と聞くと「本当は帰りたかった?」「好きで渡ってきたわけではない??」って考えちゃいますね。。。

帰りも色んな角度から↓↓ こんなにゴボウラ撮る機会はもう無かろうな・・・・・・

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常設展示カタログ↓↓  巻頭20P以外は白黒画像ですが、解説が充実していて

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帰路は北上して道の駅「北浦街道ほうほく」敷地内に古墳アリ、角島の眺望良し!)と企画展に出ていた「だるま堂」(粟野駅北東)に立ち寄り、色々どっさり購入 

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柚子味噌って中々売ってないんですよね~ 企画展の和菓子情報はかなり役に立ちました↓↓ 何故って和菓子屋は、地元の伝説を反映したお菓子をよく作るから↓↓

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立ち寄りスケジュールきつきつの旅行中にはランチにもなりますし

このあとは温泉神社アタックで長門湯本に寄り、ジオたく長年の夢「秋芳洞を訪れ、出雲族の足跡残る山口市防府市へ・・・ 

最高でした、長門国&周防国

風土記の丘★なす(栃木県)

風土記の丘協議会」に加盟している風土記の丘」は、現在16ヵ所17館(加盟していない「風土記の丘」は「吉備路」「立山」「壱岐」の3ヵ所)。
大体は初代『風土記』のイメージ時代通り「古墳が密集する丘陵」か、特別史跡や重要な国指定史跡の近くに建てられています。が、「近江」のように城メインだったり立山のように寺系メインだったりするところもあり、全てがWのターゲットではありません。そもそも弥生時代が専門なんで。

「さきたま」(埼玉県)や常陸茨城県)、「吉備路」岡山県)や八雲立つ島根県)を記事にしていないのは20年以上前の訪問のため「画像をデータで持ってないから」ですが、洞窟遺跡(縄文時代)がメインの「うきたむ」山形県)や国分寺メイン(奈良時代)の「しもつけ」(栃木県)は記事にする気力が全く出ないf:id:wistorian:20190926193801p:plain

しかし、同じ栃木県でも北方のここは前方後方墳メイン」(←好き!)という噂。
前方後方墳は、大和朝廷が広めたという前方後円墳よりも古い時代の古墳。出雲にも多いので、興味深々f:id:wistorian:20190926192812g:plain

これは「行き」だ!

◆◇◆◇なす風土記の丘資料館 (栃木県那珂川町大田原市) ◆◇◆◇

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実はこのなす風土記の丘 、資料館が2つある。
本館となるのは那賀川町北端(旧・小川町)の那珂川の支流・箒川の南岸にあって、那須郡衙跡(国史)に隣接。

分館はそこより箒川を越えて3kmほど北の大田原市(旧・湯津上町)にある、「なす風土記の丘 湯津上資料館」。
何故こうなった??

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まずは「なす風土記の丘 湯津上資料館」の北にある、笠石神社へ。
ここは那須国造碑」(国宝、花崗岩)をご神体とした江戸時代建立の神社で、拝観料を納めればホンモノを拝せます(とても国宝安置のための機能があるとは思えない本堂。。。接収されないのは「石ならほとんど劣化しないから」?それとも「ご神体だから」?)

この国造碑は「律令以前は那須国があった」という証拠の文章が刻まれている「日本三大古碑」ですが、神社のご神体としてはW的にはあまり・・・なので、参拝も拝観もせずに終了。奈良時代の国宝なんて、資料館にあるレプリカで十分!

笠石神社から資料館に向かってR294を南下すると、左手に大きな古墳が ↓↓

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このエリアの前方後方墳の中でも大きめの「下侍塚古墳」(国史、4C末)!全長84m、国道から丸見え圧巻(国道の反対側にある休憩Pから撮影)

なんでも水戸の殿様が人を派遣して国造碑をきちんと保管し神社を建立させたついでに、これらの古墳も調査して覆土が流出しないように松を植えたのだそう。これが「日本初の考古学調査」と言われているとかなんとか・・・

この古墳から国道を150mほど南に行くと、右手(西側)に「なす風土記の丘 湯津上資料館」が ↓↓ 手前右手は↓↓「民俗資料館」   ↓↓ 庭にハニワが飾られている

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レプリカ~とウキウキ入ってみると、なんと「いま企画展をやっているので、常設展示は無いんです」 え・・・??

「展示室が1つしか無いので、企画展期間は常設展示を撤去しちゃうんですよ~」
「じゃあ、常設展示物は本館の方で見られるとか・・・?」
「いえ、それも無いです」

おいいいいいいf:id:wistorian:20190926193801p:plainf:id:wistorian:20190926193801p:plain
国造碑は神社ご神体だからレプリカといえども簡単には別館に渡せないだろうけど、古墳出土品もってどういうこと~
まあ、元々が別の市町村の施設なので、「同じ風土記の丘」ではなく、全く別の施設なんでしょう。県の割引キャンペーンも、分館は参加してたけど本館は参加してなかったし。利用者は「同じ名前を使っているなら同じ運営」だと思っちゃうんですけど、博物界って利用者の都合はあまり考慮してくれませんもんねえ。せめてサイトに「企画展中は常設展示無し」と注記するか、SNSをリンクさせて随時喚起してくれればいいのに、そのくらいの手間も惜しむ体質だらかもうどーしょもない・・・

「湯津上資料館」から更に国道を南に650m行ったところにある「上侍塚古墳」は全長114mの前方後方墳(大きさ第7位!、国史)↓ 

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国道からちょっと東に入ったところにすれ違い待機所のようなPあり。

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気を取り直して再び国道を南下し、本館へ。
こちらは那須官衙跡」の南西にある「ふるさとの森公園」の東側に立地。公園南の茅葺き家屋のエリアに民俗資料館がありますが、それよりもっと高台の建物です。分館とそんなに変わらないサイズ。こ・・・これは今まで見た風土記の丘」の中で一番小さいかもf:id:wistorian:20190926193801p:plain(入館料も分館と同じで¥100)

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こちらは一応「那須エリア全域」の全時代について展示していて、縄文家屋や複式炉の展示からスタート ↓↓

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弥生時代の展示もちょっとだけあった(でも肝心の土器は「撮影禁止」f:id:wistorian:20190926193801p:plain)↓↓

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メインはやはり、古墳時代です。

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一応「両・侍塚古墳」についてもパネルでは言及してますが、出土品の展示は町内の駒形大塚古墳国史、4C半ば←エリア最古、全長60.5m)や吉田温泉神社古墳(4C、全長59m)、那須八幡塚古墳(4C後半、全長60.5m)のもののみ。

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それぞれの古墳で剣・鏡・勾玉などの副葬品が出土していて豪華。

川崎古墳前方後円墳)の ↓↓リアルサイズ石室展示。礫床&木棺だ

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この石室展示の入口には駒形大塚古墳についてなどの ↑↑ 映像展示アリ。

その後の奈良時代東山道の展示 ↓↓ はサラーっと流し・・・

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          最後に那須官衙跡」(7C末~10C)の正倉復元模型 ↑↑
現地には柱跡しかありませんが、全国的にもかなり状態の良い郡衙跡だそうです。

この後は企画展示になっていて、すぐが出口。通常はここに映像コーナーがあるみたい。館の前庭には梅曽大塚古墳前方後円墳)の石室天井石が ↓↓

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↑↑「分館・本館両方に行くと無料でプレゼント!」な本館カタログ(太っ腹
これに湯津上館の分も含めた常設展示物が全部載ってるから、まあいいか

資料館から南南東に2.4kmほど行ったところにある駒形大塚古墳 ↓↓

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前方(奥)がかなり削られてる。Pは古墳の北側。南側に階段、墳頂には小祠。

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規模は小さくも、中々でした、「なす」
「なぜここに前方後方墳が集中したのか」についての突っ込んだ展示はなかったけれど・・・前方後方墳ファンにはオススメ   パンフやチケットも前方後方墳~↓↓

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さあ、残すところはあと「肥後」壱岐だ!

博物館/地学◆中央構造線博物館(長野県)

日本ジおたく五大呪文(聴いただけでゾクゾクするヤツ)の一つ、中央構造線
1億年前から形成され、関東から九州までの列島を横断するステキな大断層です。略称「MTL」(Median Tectonic Line)。

距離としては日本一の断層ですが、既に断裂しているので連動はしていません。その東西端は曖昧で、諏訪以東は不活動。九州では構造線の上に阿蘇山が出来てしまったため構造線がどこなのか不明になってしまい、活断層中央構造線断層帯」として認定されているのは近畿~大分間のみ。。。

しかし一番有名なのは、糸魚川-静岡構造線」フォッサマグナ西端)と交じり合う諏訪盆地より南のここ、酷道オタク垂涎の大鹿村ではないでしょうか!

◆◇◆◇ 中央構造線博物館(南信:大鹿村) ◇◆◇
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大鹿村は東半分が南アルプスなので、入村できるルートは南・北・西の3つ。
アッチ系の観光客は「北」の有名観光地「高遠」(伊那市)から南下して、例の磁場な「分杭峠」越え。 ↓駒ヶ根市  ↓↓ この北(上)が伊那市   ↓↓ここから入る

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普通じゃない来訪者はその酷道を「南」の飯田市(↑↑ここ)から北上して村の南端「地蔵峠」から入ります。どちらもR152。
しかしこの時期、大雨による土砂災害が重なって両方とも通行止だったので・・・・・・いやそもそも普通の観光客だから、「西」の松川町から県道22で入りました。

松川町から県道59を東へ道なりに進み、県道22に合流してトンネルを越えるとそのまま直進でR152になり、大鹿村騒動記の舞台ともなった神社や鹿塩かしお温泉がある塩川方面に向かいます。が、コロナで日帰り利用不可だったりするのでここは大人しくR152で右折。すぐの橋を渡ると、左手に役場があります。

R152をしばらく行くと右手に道の駅があり、ここの川に向いたテラスから「大西山崩落」の崩落斜面が見られます。というか、もう見えてる。   後ろの山のコレ↓↓

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村内の通行止情報や営業情報も入手できるし、FreeWifiもあるし、お菓子や物産やご当地カレーも売ってる。便利です。村内には他に観光施設と呼べるものもコンビニも無いので、休憩や食料調達はぜひここで

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更にR152を南下し、村の中央を南北に流れる鹿塩かしお川の東支流小渋川(源流:赤石岳)を橋で渡り終えてすぐを右折すると、行き止まりがろくべん館で、その手前左手が博物館。 ここも ↓↓大西山の崩落斜面が後ろに見えてる。

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庭に色々な岩石が展示されています(館内で満足した+雨、でスルー・・・)↑↑
 ★★入館料¥500(屋内・野外ガイド¥1500/h)、火曜休館(←注意!)★★
通行止めと観光施設のコロナ休業に加えて平日だったのもあってか、来館者は自分の他に1名だけでした。 ↓↓入口にはお約束のクマの剥製

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入って右手の展示室がメインですが、その前にこの展示室のこの ↑↑前の廊下の「夏休みの自由研究発表」みたいな貼出し説明を全部読みましょう。ここ、重要です
これがまた、当館研究員(というか構造線オタク)の渾身のアレコレで・・・・・・

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  びっしり↑↑             諏訪盆地の変遷!↑↑
日本列島が大陸から離れて形成された成立ちから「断層ってなんですか?」と初歩的なことに始まり、中央構造線東から西端まで紹介!!

   ↓↓マイナーな東海     ↓↓核心の信州       曖昧な関東↓↓

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  ↑↑ 噂の九州まで・・・!!  こ・・・これを本にしてくれ~~っっ

もう、大興奮です。。。以上をきちんと理解した上で、いよいよメイン展示室へ。
小さい部屋ですが、わかりますでしょうか。
←←←左手(床が小豆色)が中央構造線内帯(西側)の「領家変成帯」

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           右手(床が青灰色)が外帯(東側)の「三波川変成帯」→→
で、それぞれの区域から採取したの岩石が、それぞれの壁際に展示

 ※元々「ここが中央構造線」と思われていた真上に博物館を建ててこの断層再現展示を実物の真上に
  設置したのに、その後の調査で実際はもっとろくべん館寄りにある――と判明したのだとかf:id:wistorian:20190926193801p:plain


< 領家変成帯 >

「火山直下のマグマ高温下で変成」された岩石。固く急峻な地形で、「崖崩れが発生しやすい」真砂マサ土になる。大崩落の大西山もこっち側ですね。

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花崗岩 は北アにも多い ↑↑。「地下でマグマが固まった鉱物結晶の岩石、風化して真砂マサになりやすい」ほほう。常念は全然だけど、燕の稜線はイイ感じに風化してコマクサが繁殖してるもんなあ・・・

マイロナイト(断層圧砕岩)
断層深部で圧力をかけられて延びて変形した岩石。石英が再結晶した固い岩石。

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流動した流れが見える↑  領家と三波川の間に存在する鹿塩マイロナイト帯は、花崗閃緑岩元だそう。


< 三波川変成帯 >

「海洋プレート(フィリピン?)が大陸プレートの下に沈み込んだ深い所で高圧力下で変成した岩石」「比較的緩やかで地滑りが発生しやすい」サバ土。結晶片岩緑色片岩石英質黒色片岩。。。って、谷の両側とも脆いってこと?f:id:wistorian:20190926193801p:plain 全体的に「粘土質で剥がれやすいペラ石」だそうな。

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  やっぱ緑色片岩 ↑↑、好きだなあ    蛇紋岩 ↑↑ もたまらん・・・っっ

くうっ 家の庭に飾りたい・・・っっ 買うと高いんだよなあああ。。。

中央のジオラマは、大鹿村を南北に走る鹿塩かしお谷」(鹿塩かしお川)の模型(手前が南)↓
ボタンを押すと手前の地面がさがって、各種の断層を展示します
「領家帯」(花崗岩) ↓↓    ↓↓「 山波川帯」(緑:緑色片岩)  ↓↓「 四万十帯」(緑灰色:砂岩)

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三波川と四万十の間のシャーベットオレンジ ↑↑ は「 秩父帯」(肌色:泥質岩) 

もちろんこの部屋も壁一面に渾身の中央構造線解説展示がグルリ貼られてて凄い。
中央構造線ってなに?」「そもそも構造線ってなに?」いやこれさっき散々f:id:wistorian:20190926193801p:plain

断層が複雑な南アルプスにも言及 ↓↓

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(豊口山南麓からの)「塩見岳登山道では付加体の全ての岩石が見られる」とか、「赤色チャート(※)があるから赤石山脈」とか・・・・・・登りたくなるうぅ
         ※鉄分を含むチャートプランクトンの死骸が堆積した岩石)

 

奥の壁面は「北川露頭」で剥ぎ取った地層の実物展示。
中央構造線の地層が実際見られる露頭は、鹿塩かしお谷の北の「板山露頭」伊那市)から
「溝口露頭」「北川露頭」「安康露頭」「程野露頭」飯田市)とありますが・・・
 ↓↓ 雨だし通行止めだしで、またの機会に。

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さて、次は西側の小部屋。地震やプレートの解説展示です ↑↑
 ①プレート境界地震
 ②「大陸プレート」内の浅い地震
 ③沈み込む「海洋プレート」内の地震(←「首都直下型地震」はコレ?)
地震は、今はこの3種類に分類されるらしい。

この部屋から外の↓↓「電子基準点」も見える。

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これで ↓↓地殻変動(上下も水平も)が計測できるんだって。

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2Fの小部屋は「砂防の体験」で、土石流や大西山崩落の展示が ↑↑ マサ土サバ土に触れます。視聴設備もあったから、イベント中は何か上映するのかな?

階段の下にもMTLの何かがあった。とにかく中央構造線だらけ断層だらけ、お腹一杯。。。

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<塩の湯>
ミュージアムショップは無いしカタログもありませんが、その分撮影OKで、岩石系の書籍もバッチリ揃ってました ↓↓  ↓この記念講演記録(¥700)がホント凄くて

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      右図は博物館の展示にあった、講演内容と同じような図↑↑

鹿塩かしお温泉と有馬温泉は同じ種類の温泉だ」というテーマを証明するために、水素同位体×酸素同位体のグラフやヘリウム4・リチウムの含有量まで用いて、最終的には温泉の全ての種類の起源を解明するという――  これは私も、ずっと前から疑問に思っていたことでした。いずれ原稿にも必要で、でも調べても全然出てこなかった情報で・・・そうでなくとも¥700以上の価値がある濃密さ(この内容でよく2時間で足りたよね)! こういう本が欲しかった・・・!!

この鹿塩かしお温泉はかなりの量の塩を含んでいて、煮詰めれば「山塩」が採れるそうです。「山塩」は、海水と同じ成分だけどニガリがほとんど無い、人体に優しい優良塩。塩川の川水にもかなり含まれていて、1日2トン(村の合計)もあるとか。

そういえば「山塩」道の駅でも売られていたし、地元の和菓子・洋菓子にも山塩モノが溢れてました。 ↓↓もちろん買った!

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温泉は「鹿が好んで飲んでいるのを諏訪神が気づいて発見」。(牛の塩舐めは知ってるけど、鹿も??) 大鹿村の名も、ここから来てるみたい。温泉としては普通に「ナトリウム塩化物泉」で、残念ながら冷泉です。小渋川上流の小渋温泉(コロナ休業中)は「炭酸水素塩泉」ですが、こちらも冷泉。
この「内陸の塩湯」は大変珍しく「有馬型温泉」に分類されるそうだけれど、高温の有馬と違ってこちらが冷泉なのは「熱されてから長い間地下に停滞して冷めてしまった」のだとか。「有馬型温泉」の特徴は「専ら中央構造線沿いに湧出」していて、海洋プレートが沈み込んで岩石から脱水された海水が起源の温泉――
そういえば四国にも内陸に塩湯あったけど、中央構造線沿いだ。。。

色々と、勉強になりました。

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<秋葉街道>
この鹿塩かしお川、中央構造線の断層谷鹿塩かしお谷)を北流して高遠から西に折れると伊那下島で天竜川(諏訪湖発)に合流、その後は思いっきり南流して静岡県浜松市で太平洋に注ぎます。信濃川ほどではないけれど、結構な長旅。

で、R152はこの断層谷をブツブツ切れながら古代の「塩の道秋葉街道を踏襲して
太平洋沿岸まで南下しています。
 大鹿村から一番近い有名観光地は、近年「天空の里」とかで有名になった下栗の里(日本の里100選)がある「遠山郷」(飯田市)でしょうか。
飯田市「信州の小京都」と呼ばれ、水引飾りや和菓子屋が多く、天龍峡の川下りや散策路が充実。宿泊施設も駅前・IC近くに豊富で便利。

秋葉街道の中盤では「秘境駅だらけのJR飯田線」の一部と並走し、その後は中央構造線から離れて(代わりに飯田線中央構造線に付いていって/笑)天竜川と合流します。街道名の由来である秋葉山は、全国の秋葉神社(火伏の神)の総本山。最後は東名高速を越えて、ウナギと銅鐸浜松市市街地へ。

マイナーですが、色々と興味深いエリアです。。。
R152のバイパスである三遠南信自動車道(飯田~浜松)が完成したら改めて南信
旅行して、そのまま静岡(遠州)へなだれこみたい

『ゴールデンカムイ』野田サトル(ヤングジャンプ:集英社)

北海道旅行時は4巻までしか読んでなかったこちら。
「獣を殺して味わいまくるアイヌの少女」(ヒロイン)と「人を殺しまくる日本の武人さんたち」の、北海道ドタバタ探検マンガです。

 

や、もうホントに面白い。
幕末~明治の北海道における独立革命(失敗)を引っ張り、民族差別や北方問題なども織り交ぜる主軸ストーリー自体も面白いのですが、北海道の自然とアイヌ文化を有名無名・事実伝説ゴチャマゼでみっちり紹介する旅ガイド的紹介回も素晴らしいのですが、それより何よりあの、キャラ全員が全体的に人生フザけてるところが、メッチャ凄い。

主要キャラの8割が「精神的に戦争でヤられて頭イっちゃってる脱獄犯や軍人」だからなせいもあるにしたって、主人公側は常に糞(オソマ)ネタだし勃起だしラッコだし、敵も「二瓶ゴハン」とか「欠け友」とか獣姦とか人皮コスプレとか、真正の変態が続々と。。。(さすがにアニメではカットされた話が多いとか/笑)

91話で主人公がアイヌの昔話に対して「登場人物全員変態かよ」って吐いてますが、いやお前らこそ。

 

強くて有能なキャラでもどこか色々ヌケてて(そうでなくてもヒグマやシャチが乱入してきたりで)、命の遣り取り中にとんでもない展開になる。深刻なはずの人生を、こんなに楽しく繰り広げていいんだろうか・・・

そして扉絵はほぼ「おチョクリ」の「おフザけ」、本編にも見え隠れする(いや、全然隠れてない)あのB級魂は、『ネウロ』を軽く凌ぐかも。

もちろん「おフザケ回」(サーカスとかお芝居とか)があってこそのこの面白さですが、「一貫してシリアスなキャラ」はヒロイン父と土方さんだけってf:id:wistorian:20190926193801p:plain

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元々「アイヌの文化」と「山でのサバイバル知識」に興味があったから読み始めましたが、これはある程度の巻数出てから読んだ方がいいなと思って数年放置。
2021年の北海道旅行で「帰宅したら漫喫で読破するぞ!」と思っていたら、ジャンプサイトが期間限定で全話無料解放(太っ腹!)してくれたので、自宅で酒呑みながら一気読み(×3回)。
主要キャラが多くて利害関係が複雑なので、一気読みで正解★

 

もちろん、興味無くたって楽しめます。下ネタ、ゲイネタ、戦争・殺人、猟奇的グロもあるけれどみんなソフトで「エロ」はほとんど無いし、自然に沿ったアイヌの暮らしは教育的知識的に絶対イイので、逆に「小学校高学年以上(特に「動物を食べるなんて酷い!」なんてえワケわからん事をほざく現代っ子のいい子ちゃんブリっ子)に読ませたいマンガ」

北海道の大自然の描写も綺麗で(←デジタルの恩恵?)、「北の動物」(ヒロインが殺して食べる)もあますところなく紹介されてるf:id:wistorian:20190926193526g:plain

 

杉元(主人公のおっさん。やたらと男にモテる)がそのヒロイン(子供だけど逞しくて有能で有用)を一人「さん付け」で呼び、大人と対等に扱っている風なのもイイんですよね。
網走までの旅では何のためらいも無くこの二人で同室・同衾してるし、「いつかお前の故郷に連れてけ」って逆プロポーズかおい。
1巻から続く山暮らしや海での大冒険、アイヌクッキングでの脳みそ生プレイなんてもう、お前ら早く結婚しちゃえよ!って感じ。
デジタル漫画サイトでも「歳の差」タグがついてるし!f:id:wistorian:20190926192927g:plain

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そんな濃くて変なキャラたちが敵味方入り乱れて色んな組合せで動きながらも何故か
どんどん団結し始めて二極化し、ついには樺太中央までのカオスな冬旅。

土方さん側は「ハジけた武士チーム」で、「テロリストたちの個人プレイ」が際立つノープラン方式(機動力と絆が命)。全体的に部活合宿(引率・永倉さん)ムードで微笑ましい。
片や「病んでる軍人チーム」は「鶴見中尉と根暗な手下たち」。キモは人員力&武器力
ですが、綿密なプランは倒れっ放しのストリーム。最終決戦は函館☆です。


2016年マンガ大賞受賞。
現在・27巻(連載中)