Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

風土記の丘★みよし(広島県)

広島県
実は一度も、ちゃんと神社巡り・遺跡巡りしたことが無い県です。
毎回「出雲の帰り」「四国のついで」に1~2か所立ち寄るだけの、「人生の通過駅」。だって、海沿いは平安過ぎて・・・・・・「修学旅行で一度来たことがある」というのも興味が失せる要因なんですよね いつも他県のメイン目的地に時間を取られ、立ち寄る頃には時間切れ、でした。

でも中国山地の方は、出雲や吉備と共通点の多い「素敵エリア」。出雲派風土記の丘ハンターとしては外せません!

今回の旅行も本命は「山口県」だったのですが、信州へ直帰するには結構な距離があったので初めて広島県で1泊してみました☆

◆◇◆◇  みよし風土記の丘 広島県三次市◆◇◆◇

f:id:wistorian:20210226144451j:plain

三次ICを降りてR375を南下。左手に↓↓こんなモニュメントが見えたらそこで左折。

f:id:wistorian:20210226142429j:plain
f:id:wistorian:20210226142450j:plain

左手にPがあるのでまずはそこへ停めると、すぐ目の前に↑↑ 宮の本第24号古墳(直径30m円墳、4C末~5C初)の模型↓↓があります。 こっちはモニュメントかな?↓↓

f:id:wistorian:20210226142746j:plain
f:id:wistorian:20210226142659j:plain

↑↑これを中心に「小型円墳が配置されていた」=重要な古墳、だったようで、副葬品も豪華。中国横断道(尾道道)建設のためここに縮小再現し、一部の葺石や石棺を移設したそう(石室はレプリカ↓↓)。葺石やハニワもこちらに復元すればいいのに・・・

f:id:wistorian:20210226142848j:plain
f:id:wistorian:20210226144044j:plain

ここから更に上へ行くと左手に日時計が見えるので、その手前右手の風土記の丘Pへ↑↑

サイトはいかにもお役所風ですが、各遺跡やウォーキングマップのリンクが載せてあって便利 現地にも地図や標識が豊富に設置されてました ↓↓ ―って、古墳、多っ

f:id:wistorian:20210226144307j:plain

「近つ飛鳥」には及びませんが、大小の古墳が170基以上!↑↑ これはちょっと・・・f:id:wistorian:20190926193801p:plain
既に矢谷野古墳を見てきたし、山口県から雪の高速道路をかっ飛ばしてきてやや疲れていたので、さっさと歴史民俗資料館へ。。。

警備室のような受付を通ると↓↓広いエントランスホール・・・・・・地味です。

f:id:wistorian:20210226145645j:plain
f:id:wistorian:20210226150440j:plain

しかし展示室に入ると充実空間が広がってました。まずは「広島県の紹介」↑↑
↓↓この時代別遺跡分布図、イイ! 瀬戸内側のジオラマもステキ・・・ 島!島!↓↓

f:id:wistorian:20210226145843j:plain
f:id:wistorian:20210226150203j:plain

 遺跡の年表↓↓ 興味ある人間にとっては、色々と気の利いた導入です。

f:id:wistorian:20210226150311j:plain

この三次は「出雲から安芸・吉備へ抜ける、中国山地の要衝」。街道のハブ地です。

f:id:wistorian:20210226150023j:plain

石見銀山の街道もここを通って尾道へ南下。東の美作国とも、その海側の備後・備中・備前とも繋がっていたことでしょう。

国には成りえなかったですが、後述するように海側の安芸国とは一線を画しています。というかほぼ備後国。でも、どちらかというと山陰に近いのではないかと・・・・

時代ごとにわかりやすい展示↓↓  台の色も時代ごとに統一されてる↓↓

f:id:wistorian:20210226150430j:plain
f:id:wistorian:20210226150640j:plain

そしてここ、本命の弥生時代が期待以上に凄くて・・・  

f:id:wistorian:20210226150608j:plain
f:id:wistorian:20210226151156j:plain

出た!吉備の特殊器台!!↓↓      説明パネルも秀逸・・・↓↓

f:id:wistorian:20210226150758j:plain
f:id:wistorian:20210226151239j:plain

↑↑弥生時代は普通に土器ですが、古墳時代はハニワになる不思議系。厚さ5mmで遠くから運ばれてきたにしては欠損が無い、という点もフシギ。出雲でも出土します。

そして最愛の四隅突出型墳丘墓↓↓ あ~出雲行きたい。

f:id:wistorian:20210226151529j:plain

  出土品もたくさん↓↓   ここの弥生土器、全体的にイイ・・・↓↓    

f:id:wistorian:20210226152654j:plain
f:id:wistorian:20210226151230j:plain

このエリア独特の弥生土器「塩町式土器」と言うらしい↓↓

f:id:wistorian:20210226151845j:plain

弥生時代のこの充実した展示度、滅多に無いほどの素晴らしさ

古墳時代も豪華! ↓↓

f:id:wistorian:20210226152840j:plain
f:id:wistorian:20210226153055j:plain

出土した素環頭大刀↓↓(地蔵山第一号古墳:広島市)――の復元レプリカ↓↓

f:id:wistorian:20210226153748j:plain
f:id:wistorian:20210226153801j:plain

レプリカというか全日刀の現会長さんが鍛えたモノホン  地金のニエが綺麗でした

 ↓↓模型かわいい~  円墳↓↓  ここは石葺き多いんですね。 ホタテ型↓↓

f:id:wistorian:20210226154434j:plain
f:id:wistorian:20210226154625j:plain

何でも三次エリア、広島県内イチの古墳密集地で約3000基、にも関わらず、南部に多い前方後円墳と横型式石室は少なく「円墳やホタテ型が多い」んだそう。

片や海側・瀬戸内は交通の要衝として天然の入江が利用され、弥生時代から栄えていたとか。 ↓↓三ツ城古墳東広島市)。ここ「いつか行くリスト」に入ってる。

f:id:wistorian:20210226153419j:plain
f:id:wistorian:20210226154248j:plain

奈良・平安も充実してました。が、いかんせん興味が無いので画像はこれだけ↓↓

f:id:wistorian:20210226153727j:plain

展示室から出ると、最後に須恵器窯↓↓(松ヶ迫遺跡:三次市)と ↓↓高殿(保光たたら:庄原市)の模型が、通路の一角に展示。

f:id:wistorian:20210226155055j:plain
f:id:wistorian:20210226155358j:plain

いやはや、良い博物館でした ついでに好みの史跡も・・・↓↓ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

矢谷やだに墳丘墓> 国史、墳丘全長18.5m

「矢谷古墳」という名称で国史登録されているそうですが古墳ではありません四隅突出型墳丘墓(←死ぬほど好き)、つまり、弥生時代の墓です。
 ※「弥生時代の墳丘墓は自然段丘を利用したものなので古墳ではない」そうな(古墳専門オタク談)

三次ICを降りてR375を南下するとこは同じですが、中国道を越えたら左手の「三次工業団地」へ。案内板 ↓↓に従うと酒屋体育館Pに誘導されます。 ↓↓もう後ろに見えてる

f:id:wistorian:20210226133338j:plain
f:id:wistorian:20210226133403j:plain

葺石も復元してあるけど高さ1.2m・・・ 低いというより何というか・・・ 薄い。

f:id:wistorian:20210226133712j:plain

ペラペラだし四隅にしては特異なカタチ↓↓ なのに埋葬遺構は11基とかなり多めf:id:wistorian:20190926193801p:plain↓↓

f:id:wistorian:20210226152234j:plain
f:id:wistorian:20210226152540j:plain

北の須恵器窯跡 ↓↓と合わせて国史。出土品は国重文(博物館に展示のガラス玉)↓↓

f:id:wistorian:20210226134231j:plain
f:id:wistorian:20210226152415j:plain

なんと、弥生末期にローマ帝国で制作されたガラスだとか!

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

みよし

他県民にとってはあまり観光しにくる所ではないですが、中国道と松江道・尾道道が通っていてアクセスは良いし出雲関連の神社も伝承も多いし、何より自然が一杯。風土記の丘の北には備後国二之宮「知波夜比古神社」があり、色々楽しめるエリアです。オススメ