Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

博物館/弥生時代◆土井ヶ浜遺跡(山口県)

ワタクシ、出雲を追いかけ始めた30年前に思ったのです。
日本海流の向きと朝鮮半島との位置関係から言って、山口県西部に大きな遺跡が  無いと都合が悪い  あるはずだ――と。

なのに関門海峡より北では、九州側には糸島や沖津島など重要地がウゾウゾあるのに、山口県側には無い。。。そこでWindows95以前に頑張って書物で調べたら、ひっかかったのがここ、土井ヶ浜遺跡でした。
位置的にも「半島から流れてきたらまずはここにひっかかりそう」な場所。絶対、(私にとってイイ感じの)何かが、ある!

でも山口県って、八幡と住吉が強すぎて。。。歴史的にも神功皇后以降は江戸幕末一強。神社&遺跡巡り旅行の行先としては最下位クラス(というか最下位)でした。
やっと行かれた

◆◆◆ 土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム下関市豊北町◆◆◆

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 ↑↑ ゴ、ゴボウラ貝・・・??? ってことは・・・この遺跡、貝輪が出土してるな?!

しかしこの博物館、かなり不便な場所にあります。
バスがあるから誰でも来られますが、高速から遠くローカルJRからも外れた地・・・まあ、他市民は普通、よほどこの遺跡に興味なければ来ません。一番近い観光地「角島大橋に行った帰りに通りがかる」程度。奇祭・サバー送りも、あまりこちら側は通らないようです。車移動とて周辺に普通の宿泊施設が無いから、Wもスケジューリングには難儀しましたf:id:wistorian:20190926193801p:plain ↓↓おかげで時間が妙に余り、逆に「土井ヶ浜ついで」の角島・・・

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下関市街地からはR191を約42km北上。左側に左折を促す看板が出てきます。この1本先のY字で左折して石鳥居(神功皇后神社)の下を通った方が近いけど、すれ違い不可能な狭さなので看板通りにした方が良いです。

看板で左折して広い道を進むと次の看板では右折指示、T字の行き止まり右手が遺跡、博物館、公園をまとめた「土井ヶ浜弥生パーク」T字を左へ行くと、土井ヶ浜海水浴場)。PはこのT字の手前左側でそこにWCもありますが、T字を右に行くとすぐ左に「お祭り広場」(未舗装)↓↓があり、通常はそこにも停めてOK。

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P西端には7年に1度おこなわれる「浜殿祭」の「お旅所」↑↑ 山側に坐す「厳島の神」と海側の「蛭子の神」の男女が出遭う民俗的な神事だとか・・・次回は2025年。

↓↓こういうボロ看板を放置している時点で悲哀が・・・

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博物館は¥200とこれまた激安。割引情報を見ると、市立っぽい。館内MAP↑↑ 右下は書籍や観光などの情報コーナーらしいのですが、訪問時は企画展示室(地元の和菓子展)になってました。

まずはシアタールームで「よみがえる弥生人~日本人のルーツを追って~」を拝見(貸切)↓↓ この観客席は、「渡来人の船」設定???

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両サイドには子供向けのQ&Aの端末が並んでいて↑↑、シアター前後に理解度の確認が出来ます。「地元の学校向け」「修学旅行向け」の構成にすれば団体が来るから、手堅いよね・・・というか、「そうしないと誰も来ない」のは地方の博物館の共通問題。

それにしても、長年の研究と交流から色々なことが解明されているんですねえ。。。

常設展示↓↓       ↓↓「英雄」の再現図

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出土した人骨は、特徴のあるものだけ愛称がつけられています。↑↑この「英雄」14個の石鏃と一緒に出土。1個は骨盤に刺さっていて、そこに傷も集中しているので「多分、戦死したのだろう」=「戦士だったのだろう」ということに。

出土場所のジオラマ↓↓  遺跡にはドームが設置され、屋内展示が見られます。

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土井ヶ浜遺跡国史)は、弥生時代の集合墓地です。
「弥生の遺跡」として昭和から有名すぎて、なのにその後にもっと華やかな弥生遺跡(吉野ヶ里、加茂岩倉)が発掘されたせいか、すっかり忘れ去られているような扱い・・・・・・実際、学術新書には全く出てこない。
「何故だ?」と思っていたけれど、大規模な建造物も豪華な出土品も無いとなると、やっぱり一般人にとっては地味、なんでしょうねえ・・・・・・

それでもなんでここが昭和には有名だったかというと、弥生時代としてはトップを誇る「膨大な埋葬数」「砂浜に葬られたという特異性」のおかげです。

この遺跡・・・というか人骨、の発見記録の初出は1931年(S6)。
その前から「土井ヶ浜では人骨が出る」と知られていて、それは13Cの元寇の時の遺体だと思われていたけれど、調査してみると古墳時代の人骨に近いと判明し―――たのに、更に放置(笑)
戦後1952年の貝製品(副葬品)発見で、ようやく弥生時代の人骨だとわかって、九州大学主導による発掘が始まったそうです。

掘れば出るわ出るわで、現在の累積人骨は約300体。遺跡保存は1978年。
今のところ最後の調査は2000年に終了してますが、まだ「掘れば出る」んでしょうね。

人骨から民族の起源や風習(信仰や抜歯など)、栄養状態や生活習慣までわかるので、漫画を描く上でも大変良いデータを与えてくれます  日本人の性別平均身長↓↓

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そして、ここが人骨以上に展示に力を入れているのが貝輪↓↓

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貝輪縄文時代には無い、南方由来の弥生のアイテムです。そうか、弥生時代のアイコンとしてこれから貝輪を使えば‥‥って銅鐸より地味だな

貝の自然形状である「渦巻について」の考察パネルもあり・・・↓↓

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ホントは「貝輪の実物」が欲しいのですが、ミュージアムショップでも中々無い。もちろんこの博物館にも売って無いし、体験展示の貝輪レプリカ(腕に嵌めてみてね☆系)がコロナのせいで↓↓使用禁止になっていて・・・っ

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嵌めた状態の画像が欲しかったのに  仕方ないので様々なアングルから激写↑↑

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南方には貝製の指輪やネックレスもあるのか・・・↑↑

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土器もチョロっと↑↑丹塗り多いですね・・・   ここでも貝殻の話題に↑↑

3Fの展望台は大して高くないため海も見えないので、実際の景色より解説の画像の方がわかりやすいという始末。

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周辺の遺跡の解説↑↑ 東の片瀬遺跡B区には「弥生時代の水田跡」があるとか、南には
「弥生前期の集落遺跡」があるとか・・・・・・ 2Fは何も無かったけど、収蔵庫かな?

さて、館内は堪能したので、博物館南東の土井ヶ浜ドームへ↓↓

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土井ヶ浜遺跡で最も人骨が集中して出土した場所にドームを設置し、レプリカ展示↓↓(この部分以外は砂で覆土して埋め戻し) 雰囲気ありますねえ・・・

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現在の海岸はここより450mほど北西ですが、当時はここが海岸だったんですね。
砂浜に含まれる貝や有孔虫のカケラが砂をアルカリ性に傾かせるおかげで、人骨の保存状態が良かったのだとか。

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ここの人骨は渡来系の要素が強いそうで、例外もあるけれどほとんどが「肘と膝をまげて」「浅い穴にそのまま」「仰向け」で埋葬。多くは首がやや立てられているので、まるで「皆、海の向こう(北西)を向いている」状態(↑↑画像では左の方)。
北西・・・つまり朝鮮半島の方です。

この長門国の西岸にある式内神社の参道もことごとく西方へ向いており、標高からすると古代はその門前までが海。海系神社でもないのに海の方向を重視することはあまり無いので、全て渡来人が祀る社だったのでしょうか。
西を尊ぶ出雲の風習に近いものも感じます。

でも「故郷の方を向いて埋葬」と聞くと「本当は帰りたかった?」「好きで渡ってきたわけではない??」って考えちゃいますね。。。

帰りも色んな角度から↓↓ こんなにゴボウラ撮る機会はもう無かろうな・・・・・・

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常設展示カタログ↓↓  巻頭20P以外は白黒画像ですが、解説が充実していて

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帰路は北上して道の駅「北浦街道ほうほく」敷地内に古墳アリ、角島の眺望良し!)と企画展に出ていた「だるま堂」(粟野駅北東)に立ち寄り、色々どっさり購入 

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柚子味噌って中々売ってないんですよね~ 企画展の和菓子情報はかなり役に立ちました↓↓ 何故って和菓子屋は、地元の伝説を反映したお菓子をよく作るから↓↓

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立ち寄りスケジュールきつきつの旅行中にはランチにもなりますし

このあとは温泉神社アタックで長門湯本に寄り、ジオたく長年の夢「秋芳洞を訪れ、出雲族の足跡残る山口市防府市へ・・・ 

最高でした、長門国&周防国