Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

風土記の丘★なす(栃木県)

風土記の丘協議会」に加盟している風土記の丘」は、現在16ヵ所17館(加盟していない「風土記の丘」は「吉備路」「立山」「壱岐」の3ヵ所)。
大体は初代『風土記』のイメージ時代通り「古墳が密集する丘陵」か、特別史跡や重要な国指定史跡の近くに建てられています。が、「近江」のように城メインだったり立山のように寺系メインだったりするところもあり、全てがWのターゲットではありません。そもそも弥生時代が専門なんで。

「さきたま」(埼玉県)や常陸茨城県)、「吉備路」岡山県)や八雲立つ島根県)を記事にしていないのは20年以上前の訪問のため「画像をデータで持ってないから」ですが、洞窟遺跡(縄文時代)がメインの「うきたむ」山形県)や国分寺メイン(奈良時代)の「しもつけ」(栃木県)は記事にする気力が全く出ないf:id:wistorian:20190926193801p:plain

しかし、同じ栃木県でも北方のここは前方後方墳メイン」(←好き!)という噂。
前方後方墳は、大和朝廷が広めたという前方後円墳よりも古い時代の古墳。出雲にも多いので、興味深々f:id:wistorian:20190926192812g:plain

これは「行き」だ!

◆◇◆◇なす風土記の丘資料館 (栃木県那珂川町大田原市) ◆◇◆◇

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実はこのなす風土記の丘 、資料館が2つある。
本館となるのは那賀川町北端(旧・小川町)の那珂川の支流・箒川の南岸にあって、那須郡衙跡(国史)に隣接。

分館はそこより箒川を越えて3kmほど北の大田原市(旧・湯津上町)にある、「なす風土記の丘 湯津上資料館」。
何故こうなった??

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まずは「なす風土記の丘 湯津上資料館」の北にある、笠石神社へ。
ここは那須国造碑」(国宝、花崗岩)をご神体とした江戸時代建立の神社で、拝観料を納めればホンモノを拝せます(とても国宝安置のための機能があるとは思えない本堂。。。接収されないのは「石ならほとんど劣化しないから」?それとも「ご神体だから」?)

この国造碑は「律令以前は那須国があった」という証拠の文章が刻まれている「日本三大古碑」ですが、神社のご神体としてはW的にはあまり・・・なので、参拝も拝観もせずに終了。奈良時代の国宝なんて、資料館にあるレプリカで十分!

笠石神社から資料館に向かってR294を南下すると、左手に大きな古墳が ↓↓

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このエリアの前方後方墳の中でも大きめの「下侍塚古墳」(国史、4C末)!全長84m、国道から丸見え圧巻(国道の反対側にある休憩Pから撮影)

なんでも水戸の殿様が人を派遣して国造碑をきちんと保管し神社を建立させたついでに、これらの古墳も調査して覆土が流出しないように松を植えたのだそう。これが「日本初の考古学調査」と言われているとかなんとか・・・

この古墳から国道を150mほど南に行くと、右手(西側)に「なす風土記の丘 湯津上資料館」が ↓↓ 手前右手は↓↓「民俗資料館」   ↓↓ 庭にハニワが飾られている

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レプリカ~とウキウキ入ってみると、なんと「いま企画展をやっているので、常設展示は無いんです」 え・・・??

「展示室が1つしか無いので、企画展期間は常設展示を撤去しちゃうんですよ~」
「じゃあ、常設展示物は本館の方で見られるとか・・・?」
「いえ、それも無いです」

おいいいいいいf:id:wistorian:20190926193801p:plainf:id:wistorian:20190926193801p:plain
国造碑は神社ご神体だからレプリカといえども簡単には別館に渡せないだろうけど、古墳出土品もってどういうこと~
まあ、元々が別の市町村の施設なので、「同じ風土記の丘」ではなく、全く別の施設なんでしょう。県の割引キャンペーンも、分館は参加してたけど本館は参加してなかったし。利用者は「同じ名前を使っているなら同じ運営」だと思っちゃうんですけど、博物界って利用者の都合はあまり考慮してくれませんもんねえ。せめてサイトに「企画展中は常設展示無し」と注記するか、SNSをリンクさせて随時喚起してくれればいいのに、そのくらいの手間も惜しむ体質だらかもうどーしょもない・・・

「湯津上資料館」から更に国道を南に650m行ったところにある「上侍塚古墳」は全長114mの前方後方墳(大きさ第7位!、国史)↓ 

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国道からちょっと東に入ったところにすれ違い待機所のようなPあり。

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気を取り直して再び国道を南下し、本館へ。
こちらは那須官衙跡」の南西にある「ふるさとの森公園」の東側に立地。公園南の茅葺き家屋のエリアに民俗資料館がありますが、それよりもっと高台の建物です。分館とそんなに変わらないサイズ。こ・・・これは今まで見た風土記の丘」の中で一番小さいかもf:id:wistorian:20190926193801p:plain(入館料も分館と同じで¥100)

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こちらは一応「那須エリア全域」の全時代について展示していて、縄文家屋や複式炉の展示からスタート ↓↓

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弥生時代の展示もちょっとだけあった(でも肝心の土器は「撮影禁止」f:id:wistorian:20190926193801p:plain)↓↓

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メインはやはり、古墳時代です。

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一応「両・侍塚古墳」についてもパネルでは言及してますが、出土品の展示は町内の駒形大塚古墳国史、4C半ば←エリア最古、全長60.5m)や吉田温泉神社古墳(4C、全長59m)、那須八幡塚古墳(4C後半、全長60.5m)のもののみ。

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それぞれの古墳で剣・鏡・勾玉などの副葬品が出土していて豪華。

川崎古墳前方後円墳)の ↓↓リアルサイズ石室展示。礫床&木棺だ

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この石室展示の入口には駒形大塚古墳についてなどの ↑↑ 映像展示アリ。

その後の奈良時代東山道の展示 ↓↓ はサラーっと流し・・・

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          最後に那須官衙跡」(7C末~10C)の正倉復元模型 ↑↑
現地には柱跡しかありませんが、全国的にもかなり状態の良い郡衙跡だそうです。

この後は企画展示になっていて、すぐが出口。通常はここに映像コーナーがあるみたい。館の前庭には梅曽大塚古墳前方後円墳)の石室天井石が ↓↓

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↑↑「分館・本館両方に行くと無料でプレゼント!」な本館カタログ(太っ腹
これに湯津上館の分も含めた常設展示物が全部載ってるから、まあいいか

資料館から南南東に2.4kmほど行ったところにある駒形大塚古墳 ↓↓

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前方(奥)がかなり削られてる。Pは古墳の北側。南側に階段、墳頂には小祠。

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規模は小さくも、中々でした、「なす」
「なぜここに前方後方墳が集中したのか」についての突っ込んだ展示はなかったけれど・・・前方後方墳ファンにはオススメ   パンフやチケットも前方後方墳~↓↓

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さあ、残すところはあと「肥後」壱岐だ!