Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

国史跡/古墳時代◆大岩山古墳群(滋賀県)

日本全国どこへ行っても弥生モノを追っているWですが、そうするといつも、その後代である古墳時代の遺跡に遭遇します。古くて大きい神社のある場所はその地方の政治的中心地なので、これは必然。大体「城」も近くにあります。縄文遺跡は・・・・・・あれはちょっと場所が違いますね。

神社も古墳も「墓」という意味では似た様なものですから、興味が無いわけはありません。よって今回も、「銅鐸のオマケ」として行ってみました。

**国史跡・大岩山古墳群滋賀県野洲市**

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上図に古墳名の記されている8基が「大岩山古墳群」。そのうち甲山・円山・天王山の3基が、「桜生さくらばさま史跡公園」として整備されています。

銅鐸博物館のスタッフによれば「ここから桜生までは徒歩8分だが、R8を超える部分は信号が無くて危ない。駐車場もあるし車で行くのがオススメ」。というわけで、銅鐸博物館から車でR8の立体交差点へ戻り、そのまま交差点を直進し、次の信号で左折。すれ違いややムリな狭道へ入りますが、これ、旧中山道だそう。

やがて道幅が広がり ↓新幹線の高架線路が見えて、それにどんどん近づいていくと・・

               その線路に当たる手前左に ↓ ↓こんなPと建物が。

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看板がどこにも無いよ?!と思ったら、おや? こんな↑↑ところに家型石棺のミニチュアレプリカが・・・こんなの ↓ ↓ 車から読めないって!><(敷地内のも草に↓↓埋もれてる…

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全体的にトリッキーなのが好きな施設団体・・・?

この建物は、地図には「案内所」となっていますが、看板等は一切無いし閉まってる。あの、今日はGWで日曜なんですけど・・・・・・

「昔は常駐していたけれど、今は財政難で閉鎖」でしょうか?

銅鐸博物館でもらったチラシがあるし、地図 ↓ もあるので、まあいいか。

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まずは案内所の後ろ手の「学習広場」へ。↓↓これは珍しい、屋外にジオラマ

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ジオラマ中の手前右の大きい茶色は「大塚山古墳」でホタテ貝形古墳なのですが、前方後円墳ぽくなっちゃってるし、造出しの向きが間違っています。古い地図でも前方後円墳の形をしていたので、私もずっと勘違いしてました。発掘当時は前方後円墳だと思われていたのか、作成者が両者の違いをわかっていなかったのか・・・

学習広場から池(アヤメ池?)の横を通って舗装された緩い坂を登っていくと、右手に甲山かぶとやま古墳。直径30m、6C半ばの円墳です。

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円墳というにはかなり急斜面 ↑ これは確かに甲っぽい。ここで石室 ↑ を覗こうと近づくと、突然始まる古墳説明音声!!  ↓これを読み始めた・・・

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またセンサーか!>< なんでこんな大音量だよ! この公園、いま誰も居ないんだからコワいってば!! ああもう・・・ここプロデュースしたの博物館と同じ人だな絶対。

気を取り直して中を見ると、遠くに鉄格子の扉があって、羨道をかなり入らないと中が見えません。コワすぎる・・・パス。そして、道を戻ると旧中山道と新幹線路が見えたので降りてみましたが↓ Pはありませんでした。

               なのに何故こんなとこ↓に案内標識を・・・

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お次は大岩山古墳群で一番長い「天王山古墳」全長50mの前方後円墳

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前方部から登ると ↑ ・・・おお、奥に三上山のテッペンが見えますね !↑

後円部へ行くと、R8が見えます ↓   右手には琵琶湖対岸の山々(比叡辺り?)も ↓ 。

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ここは「石室はあるけど石棺が無かった」ということであまり重要視されておらず、石室の復元もしていません。

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ところで、この近くにある「林ノ腰古墳」は全長90mなのですが、既に全部削られて平地になってます。なので大岩山古墳群に分類されながらも、数として数えられていません。昭和に調査したら二重の環濠跡と大量の埴輪を出土、江戸時代の記録では兜や刀などの石室内出土品もあったそうな。残念ですね。。。

 

天王山古墳をおりて更に坂を登ると、R8に出ました。園内に作業車が入る用・・・にしては立派なゲート ↓     いかにも後付けな看板 ↓

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当初はここが「正面入口」だった??? 

ここから少しくだると、↓「円山古墳」の入口。 欲しくなってきたコレ ↓

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一番高い所にあり結構登るからか、ここだけ階段整備されているも、も、               かなり段差が高くて大変 ↓(上から撮影)

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直径28mの円墳と小さいのですが、場所が良いのと石棺や石室のレベルが高いのとで、一番整備されている感じ。例の案内音声センサーもバッチリ設置されてます

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      めげずに内部を撮ってみたけど・・・狭っ ↑ どうやって入れたのコレ・・・

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「石棺は熊本県阿蘇の凝灰岩」って・・・古代の人ってホント何考えてんだろ。どうしてすぐそこにある花崗岩じゃダメなの??(答え:脆いから)

登頂部に登ると眼下に↓ R8。 銅鐸博物館から見えた↓ネットも大岩山も↓真正面。

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これでPに戻って史跡公園は終わりですが、近いので「大塚山古墳」へ行きましょうかね。道が狭いので徒歩で。

公園を出て右手へ、中山道を少し戻り、すぐ左折して新幹線路の高架下をくぐって西へ行くと ↓ こんな石標があって、 ↓ その向こうに小高い林が・・・↓ 

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この古墳周辺、雨降ったら水浸しっぽい。バーク敷きのフッカフカ道 ↑

ここはホタテ貝形古墳で、円丘部の直径が57mと天王山古墳より大規模。周辺に埋め込み式の説明板(草に埋もれてる)が点在し、南西部に東屋と大きな説明板アリ。

何でも墳丘斜面や外周部から埴輪がたくさん出土していて、この切れ目の入った特殊な形の「造出し」部分の小さい方 ↓ の周辺からは、大型埴輪が出土したとか。

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なのにその出土品たちがどこにあるのかは、どこにも書いてないんだな~。

墳丘最下層の斜面には葺石の跡があったとかで、一部復元済(が、草で見えなくなってる)。完全復元したら綺麗でしょうねえ。  ↓南から見た大塚山古墳

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後ろは福祉センターなので、平日ならここまで車で来てもOKです。

さて帰ろうと道を戻ると、 ↓ あのネットと ↓ 大岩山(の後衛)が見えました。

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実は大岩山、このR8と新幹線の工事で相当削られて今は無く。しかし元々は、この大塚山古墳まで裾が広がっていました。山の西麓には小さい古墳群が点在し、更に西に行くと例の「林ノ腰古墳」が。そして銅鐸出土地である 山頂付近 ↓ には、「大岩山第二番山林古墳」があったそうです。とにかく古墳、過密地。

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     ●は全部、古墳 ↑  これ、軽く「風土記の丘」になれたんちゃう?

更に。大岩山が属する山塊の南西端には、式内名神大社御上神社と、その神奈備である三上山(近江富士があるのです。博物館の北にある宮山一号墳の麓の神社も、三上神社でしたね。 

御上神社のご祭神はとっても特異ですから、大変興味深いエリア。湖岸方面には兵主神社の総本山もあります 

(そして御上神社の南を流れる野洲川の源流は御在所山・・・あああ・・・)

 

観光地としてはマイナーですが野洲、Wは強くオススメします!