結婚披露宴で謡われることで有名なこの曲。
久々に開いてみたら、舞台開きに演ると載っていたのでさっそくチケット購入!(う、クレジットカード決裁ができない…)。この能楽堂、いつか行きたいと思っていたものの観たいと思う演目を中々演らないので、今回が初。
しかも、金春流です
<高砂>
「夫婦和合礼賛」「泰平祝寿」の演目と言われ、『翁』に次ぐ格式の高さ。
大正以降にプロデュースされた「結婚披露宴」においては、新郎新婦が座る上座のことも指す。
のですが、その高砂神社の方では
創建間もなく、根を一つにする雌雄の松が生えた。ある日、尉姥二神が現われて
「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」
と告げられた。よってこれを「相生の霊松」と呼ぶようになった
となっています。
んんn…? 創建間もなくって・・・・・・古今集とどっちが先だ?
今回のチラシでは「脇能の最上」「本の脇能」と煽られる、世阿弥作、制作1400年代と言われるこの演目。
まあとにかく、「相生の松」がキーワードらしいのですわ。
6年振りの能楽鑑賞(うわ!)、張り切っていってみましょう。
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『三輪』と同じく、実在人物のワキが珍しい。
この阿蘇氏の宇治友成は延喜年間(901~922)の人。能では「都見物で上洛する途中、名所である高砂の浦に立ち寄った」となっていますが、この友成が阿蘇神社のトップの時に、阿蘇氏が「大宮司」という地位を獲得したので、これも京(朝廷)との結びつきを強める為の何かの政的行動だったのでは……と裏読み。
なんで彼がこの能に使われたのかは、本当に高砂に立ち寄ったという伝承があったからなのか、それとも何か政治的な意味があったのか……。いや、阿蘇神社は神八井耳命関連で地元神主祭の龍神信仰。神功皇后由来のこの高砂・住吉両社とは、全然関係無いし。
高砂神社では、地に挿された彼の杖が芽吹いたものがご神木「いぶき」として今日も受け継がれているので、多分前者だったのでしょう。
この掃くアイテム、流派によってはクマデなのですが、金春では杉の葉がさきっぽに束ねられているホウキ。
友:「夫婦でありながらそんなに離れて住むなんて、変じゃね?」
姥:「例え離れていても、互いに通い合う心遣いがあれば、夫婦の道は遠くない」
尉姥:「松は情が無い木なのに相生と言われる。まして心のある人間なのだから、長年(心が)通い合った老夫婦だって松と同じく相生である」
つまり「うちらラブラブで愛し合ってるんだから、距離なんて関係無いし」ってことですね。
……ノロけか?!
確かに高砂神社(兵庫県高砂市)と住吉大社(大阪市住吉区)じゃ、湾岸~名阪~第二神明と高速を乗り継いでも約2時間の道のり(渋滞勘案済)。まして古代では河口や湿地を避けなければいけないので、馬を使っても5~6時間はかかるでしょう。離れているにもほどがありますよね。
しかし、海路が主流だった古代、瀬戸内海を船で移動すれば70km弱。
まさに「海の通い路」で結ばれていると言うわけです。
ニクい演出。
「おまえ百までわしゃ九十九まで共に白髪の生えるまで」の都都逸も、この能の謡いが基と思われています。
これでもかと言うほど「夫婦和合」押し。結婚披露宴に使われるのもそのせいです。
いやでも、老夫婦じゃ響かないか。
閑話休題。
……この、話を和歌へグイグイ持っていくところ、すごいです。
大体、どの説明書きにも「住吉明神は和歌の神である」と載っているのですが、どちらかと言うと「和歌にたくさん詠まれる神サマ(神社)」だから歌道を志す人がよく詣でたのであって(以下略)。
友:「よくわかった!」 ←Σわかったんだ!?
ここで「心が晴れた」にかけてか、シテ・ツレ・ワキで瀬戸内の晴れ渡る新春の情景を歌い合い、地謡も加わって「目出度い」「豊か」「恵み」など縁起の良い詞尽くし。
更に…
友:「高砂の松の目出度い謂れをもっと詳しく教えてくれ」
引き延ばしますね。
今度はシテ&地謡が「松の目出度さ」と「草木土砂・風声水音にも心がこもっていて、それが和歌に詠まれているのだ」みたいな答え方をした後、「我々は高砂と住の江の相生の神(「松の精」とも)が夫婦となって現れたものだよん」と明かし、シテカップル、ようやく退場。
この時「住吉で待ってる」と言って「小舟に乗って沖の方へ行った」ようですが、二人(神)は離れて暮らしているのだし、住吉で舞うのはシテ(尉)だけなので、姥はこの小舟には乗っていなかったんじゃないのかな、と。
さて中入り。
ワキがようやく通りがかった里人(アイ)に、尋ねます。
友:「相生の松って知ってるか?」
さすがにここまでくると、しつこいな。
アイも「良くは知らないけど」と言いながら喋る喋る。まあ、シテのお着替え時間稼ぎですから。。。。
アイ退場。
シテの後を追い、船で出発。
ここでようやく、あの有名な「結婚披露宴の謡い」が、このワキチームによって謡われます。
高砂や この浦舟に帆を上げて この浦舟に帆を上げて
月もろともに出で汐の、波の淡路の島蔭や遠く鳴尾の沖過ぎて
はや住の江に着きにけりはや住の江に着きにけり
(高砂の浦から船出して、月とともに出る潮に乗って、淡路島の島影や鳴尾の沖を過ぎ、さあ、住吉に着きました)
待謡と呼ばれるシテ不在のこの部分、演目上では「神(シテ)を招来、又は予祝する呪歌」でしょう。
しかしこれが何故か「嫁が船で出発し、夫の元へ着く」という設定になって、結婚披露宴で謡われます。
多分、詞の意味はあまり関係なく、「目出度い番組の謡曲」で「長さが丁度良く、覚えやすい詞と節」だからピックアップされたのかと。因みに「出る」「遠い」などは縁起が悪いので、披露宴では詞を変えて謡うそうです。
こじつけに改変か。
そこまでしてムリに披露宴で謡わなくても……
はい、後シテの住吉明神が出てきて、神舞を舞います。
後シテの装束は、「邯鄲男」の面に、袷狩衣と白の大口袴、黒長髪(黒垂)に透冠という男神の定番出立ち。
図解やチラシでは、袷狩衣はシックな「藍地に金の神紋」が多いのですが、この日はビッシリの金襴紋に金格子。。。世の儚さを謡う「邯鄲」の面も、装束が格調高いと違った雰囲気ですねえ。
神々しさ優先で神楽も舞も大人しめですが、舞前後はもう、御世を寿ぎ新春の景色を愛でる総ホメ詞章。
後半の部分はあまりに目出度さMAXで、数々の神社の神楽や祝事にて謡われています。
とにかく全体イイ事尽くしで明るい事オンリーな曲、新春にデラふさわしゅうございました
これも前半ブっちぎって、後半部分だけ(以下全略)
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そして、とても良い能楽堂でした、豊田。
10~13Fがコンサートホールで、1月の3連休なので成人式をやっていました。
(しかし、エレベーターが小さくて少ない点はかなりイマイチ……すごい待たされた)
上演前・休憩時間には、8Fロビーにお茶席、9Fには簡易のスタンディングカフェがオープンします。
鏡板の老松は、常套の洞やコケと共に「剪定した切口」??まである、イマドキなやつ。
椅子がやや和風~。音響も良く、笛や鼓が一層ステキに響きます。
空調は弱めでちょっと寒かったですが、前回と違って観客のお行儀が宜しい(というか普通)で、快適。
そしてなんと、提携駐車場(16箇所!)が3時間無料!(大体¥1,000くらい)
それでも正面席¥6,000と、この設備と内容ではお手頃価格です。
今回は神社巡りを兼ねてホテルを取ったので停めて来たのですが、日帰りドライブの鑑賞も良いですね。
またイイ番組があったら、ぜひ来たい……
更に上演終了後は、ロビーにて鏡開きがおこなわれ「樽酒振舞い」と、どこまでも「新春」。
素晴らしい。
でもこの日は激しい二日酔いで、とても呑めませんでした(笑)