Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

能・『三輪』(みわ)

私の本願!!(それ、仏教用語だから!)
奈良県桜井市にございます、神奈備三輪山の麓に坐します
大神神社 (おおみわじんじゃ)のご祭神に因むお話です~♪

この神社、発祥からして並ではございません。

時は神代、天孫降臨よりずっと前のこと。当時は日本列島を形造ろうと、出雲国大国主命
(おおくにぬしのみこと:稲葉の白兎を助けたあの神サマ) がスクナヒコナと共に国巡りをしていました。
ところがまだ巡り終わらない内に相棒のスクナヒコナが死んでしまい、
「まだ国を造り終えていないのに…ああ、これからどうやって一人で造れよう……」
と打ちひしがれる、大国主

そんな彼の前に、一つの御魂が顕れました。

「我はお前の幸魂奇魂 (=双霊と解されています) である」
「私を祀れば、国は恙無く造り終えられよう」

そして

その双霊が「ここに住みたい」と言って自ら鎮まった日本書紀

というのが、ここ、いわくありげな大神神社なのです!(超・省略)

それまで「○○へ祀られる為に鎮まった」という記載の神は無し(「この神は○○へ行った」「これが今言う
○○の神である」くらい)。つまり平安時代の朝廷にとっては、この大神神社が「史上一番最初の神社」
だったようなのです!(神代記が歴史書って言えるならね…)
平安京の前、平城京の更に前、飛鳥時代よりもっと前!の王都は、この三輪山山麓
平安京にとって、ノスタルジックな位置づけにあったもしれません。
昔は特に、「国家守護の神」として敬われておりました (今は農業殖産の神)。
朝廷主斎の22社にも選ばれ、平安時代は「王都守護」としてこの神社から比叡山日吉大社
御魂を勧請。現在は大和国一之宮さんとなっております。

かたや、お能の成立は室町時代以降。やがてすぐに戦国時代に入ります。
時は神仏習合まっただなか。
国営だった各神社もどんどん民営化を余儀なくされ、
 「生き残るためにはマーチャンダイズ!」
な風潮があったのでしょうか。

この頃「三輪明神と伊勢の神は同じ神である」という認識が出てきたようです。

古記にはその根拠となるような記述はありません。
作為的情報操作があったと勘繰るのは私だけでしょうか?
「有名だけど都から遠い伊勢」と、「比較的近いけれどマイナーな三輪」(今も昔も…T^T)、
これを考えると…―――

「実はうちの神さまは伊勢の神さまと同じ方。伊勢まで行くのは大変でしょう。
さあさあ、ぜひこちらへ、いらっしゃ~~い♪」

――――だったのでは???;;

いやいや、
普通は「とある僧」とか「とある行者」としか出てこないワキが、この三輪に限っては
「玄賓僧都」と実在人物名で出てくるあたり…

この作為はお前か?
お前なのか、玄賓?!

という気がします。

それがお能になりました(言い切るな)。

それでは簡単に主筋をご紹介しましょう♪

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前半、三輪山の麓に住む玄賓僧都へ、とある女が衣を所望します。
(流派ごとに理由はマチマチ。「寒さを凌ぐため」という謡いもあり、季節は晩秋を思わせる)
女に素性を尋ねても、「三輪山に住む者」と答えるのみ。

その後、三輪明神を詣でた男(アイ)が、杉に僧都の衣がかかっているのを見、これを僧都
報告します(流派によっては、この部分無し)。

後半、神社へ参った僧都の前で、三輪明神が舞い、神話(「三輪山神婚」や「天の岩戸」)や
諸事を語り、「伊勢と三輪の神は一心同体」と説いて、消えていく…

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というわけで、この舞台では女神です、三輪サマ。
しかも装束は、立ち烏帽子に狩衣 (又は舞衣) に緋袴と、まるで白拍子
説明には「性別を越えた神聖なる存在として表現されている」となっていますが、一般人に
とってはコスプレでしょう。
普通の白摺・白袷&大口袴バージョンより、こっちの方が好きですけど。
どちらにしても、上は格式高い「白」で統一。天冠はナシです。

舞台は奈良の三輪ですが、女神として出てきて、説く神話も「天の岩戸」の方が長いあたり……
「元々は、伊勢賛歌の為に作られたのではないか」と思われる演目です。
それを裏付けるかのよーに、小書きによってはその伊勢賛歌を強調した演出になってしまいます。
しかもその方が、演者にも観客にも、評判良かったり。。。。
「三輪至上」で「アンチ伊勢」な私には、大変危険な演目です。
間違っても、喜多流の「小書・神遊」は観たくない(←お能ファンにあるまじき意見)

能の成立時代が影響するので、あの強烈な本地垂迹説による仏教賛歌や何でもかんでも
「仏に救済」は、もはや仕方が無いですが……
神社に関しての「なあなあ」はそこまでにして戴きたい。

だって、

三輪明神大国主命」ではありません!!

大神神社のご祭神は大物主神です、大・物・主 おおものぬし 
大国主命は相殿!国譲りの神サマ!
いくら双霊といっても、一文字違ったら大違いですよ…
国を譲った神サマ(大国主)と、譲らせた神サマ(伊勢女神)が同一でどうする?!(談合?!)

今のところ、各・流派のサイトや当日の説明書きを見ても、正しい表記を見たことがありません。
なので、作者不明の演目ですが、もしかすると脚本(?) 自体が「三輪明神大国主」になって
いるのかも…??

まあ、どうでもいいか。
所詮その程度だ、お能なんて (←本当にファンか?!)

囃し方は、実に素晴らしいゴージャスな構成☆
特に後半の能管は、神楽スペシャルです。惚れます。
猩々みたいに、前半ブッチギって後半だけたくさん演ってくれないかなあ(笑)

ともあれ、オススメ!
ぜひ一度、観てみてください!!(>∀<)/

―――と言っても、これも晩秋~初冬に多い演目なんですよね;;