前回の和歌山市神社巡り旅行では時間が足りなくて、後回しにしたこの博物館。
「そうさく畑ファイナル」参加という奇縁に拠り、ようやく行かれました。
その古代の紀氏の本拠地であり、江戸時代では紀州徳川家のお城があった和歌山市は、和歌山県の最北部とバランスの悪い場所でありながら(いや、だからこそ?)紀州一の都市として栄えておりました。その和歌山市の一大史跡がここ、岩橋千塚古墳群(「いわせせんづか」と読む模様。50万㎡)。
紀氏の陵墓と言われる6世紀がメインの古墳群は、大小合わせて凡そ800基。
凄いですね。
まあ、ほとんどここ、紀州というより和泉(古代から人口過密な大阪エリア)ですしね。
伊賀神社巡り(よく通るからいつか行かれるだろ、といつも後回し…)や大神参拝を我慢して、葛城&金剛を横目に下ツ道で和歌山県入り。南紀白浜に住んでいた頃に買った地図には「建設予定」となっていた「京奈和自動車道」を快走して西進します。この途中で軽~く神社巡りしたのですが……
気を取り直して、あとちょっとで紀伊ICに繋がる京奈和自動車道(無料)に乗り、岩出根来ICでおりて南へ。紀ノ川を越えて県9を西進すると、看板が見えてきます。県143に入って左折するとぶちあたる、バスローターリー右手がP。
ここはPやバス停がかなり手前にあって、そこから整備された並木道を歩いていく造り→
並木道左手の細い車道を進むと、館の左手前に身障者Pアリ。
この並木道に、埴輪や古代っぽいベンチ(どんなん?)があったら最高でした。
←代わりに、付属施設のような病院のロゴ。
並木道はこんな感じ→ ランナーや近所の人が通る、普通の道。↓↓やがて大きく右にカーブすると、資料館
この手前にあるのは、紀ノ川の改修工事の時に川底から出てきた大きな木株↓
←ハニワ作りの体験教室が盛んみたいで、作品群が至るところに。窓の格子も古墳風↓
で、この下がいきなり1Fフロアになっていて、ミニ展示室兼解説広場、学習室、休憩所といった感じに↓
へええ? 面白い造りですねえ。入口大解放。これなら学校授業や団体ツアーの対応も楽です。
この入口、閉館時間にはシャッターがおりて閉まってしまいます。
1Fに展示されている移築石室→
2Fの展示室からも見られる。
この1Fフロアを真っ直ぐ進むと左手に2F展示室に続く階段があるのですが(エレベーターもあったかな?)、ここは通り抜けて、外へ。
←外へ出ると、左手に2F展示室へ行く橋。ここも装飾古墳の意匠
正面のちょっとの斜面を昇ってくるっと振り向くと、2F展示室・・・というか、この資料館の入口↓↓
あれ?この建物の壁面を埋めているのは、例の青石(結晶片岩)じゃあ…???
←左手はこんな感じ。
なんでこんなにアプローチを詳しく載せるかといったらですね、ここもアレです、展示室内撮影禁止だったんですよ。
2F入口前にある竪穴住居→
古墳時代の鳴神の遺跡がモデルで、内部14畳。
「常設展示もダメなんですか?」
「普段はOKなんですけど、特別展示と常設展示が繋がっているので、 特別展示期間中は全て撮影禁止になるんです」
おい・・・ やっぱりここ、大阪なんじゃないの?!
HPにわかりやすくその旨載せてくれていたら、特別展示期間は避けたのに・・・・・・
←江戸時代の家屋も
だがしかし、書籍は文句ナシの充実度!(ミュージアムグッズは勾玉キットクラス・・・) 常設展示カタログよりも白眉な、今回ちょうどやっていた蔵モノ総出の特別展示カタログ『岩橋千塚とその時代』と、風土記の丘ガイドブックと『紀伊弥生文化の至宝』は即買い。『紀伊の地、大いに震う』は……おお、常陸国風土記に使えるデータが入ってる!!これもー
おかげで書籍と資料で結構な荷物になりました。時は16時ちょい前。
「コインロッカー(無料)のある所は、閉館後は入れないんです」
かと言ってPは遠いし、そこらへんに置いといて万が一手を出されては困る。(盗人よりも獣的に)
仕方ないので本を持ったまま、標高差100m、1周3kmの古墳巡りへ。
遺跡全体図↓
散策エリアMAP↓
←山歩き用のMAP
どれも縮尺や図法が異なり、特にコレは大雑把過ぎて惑わされます。
まず館から東へ登り↓
やがて堅い未舗装(だが整備されている)路となる里山の中、万葉園(本格的)や花木園(やや藪の中に、古墳後期の円墳4基アリ)を通り過ぎていきます。
古代植物オタクは大興奮間違いナシ。
復元はされていない小さな古墳が、そこかしこにあるようです。獣道的なショートカット(急坂)やホントの獣道もたくさんあり、ところどころに結晶片岩らしき石がザクザク露頭。そっか、四国とは、中央構造線で繋がってますもんね~。
「最近目撃されました」→
まるで「最近ここら辺に来ました」と言わんばかりですが、彼らは見られていないだけで常にここに居るんですよ。Gと一緒。
園内の道は3割ほど舗装されていて、JOA公認OLパーマネントコースらしく。今や市民のウォーキング公園と化していて、古墳巡りの人はデート失敗カップル(女性がパンプス・・・)以外に見ませんでした。夜に行った居酒屋で会った人々も、口を揃えて「あそこはウォーキングスポットだと思ってた」。
気を取り直して、大日山35号墳入口↓
超・逆光ですが、良いアプローチ↓
全長105m(基壇含む)、県内最大クラスの前方後円墳で、6世紀前半の築造。
高低差5mほどできちんとした階段があり、前方部へ登れます↓
前方部は大日山山頂(H141.9m)で三角点があり、そこから後円を見ると遠くに和泉山脈と紀ノ川が↓
右下に見えるのは、「東造出」。一般市民99名の協力を経て焼かれた埴輪を並べて、再現↑
大作揃い↑
西造出も同じ様子だったらしいのですが、再現はナシ。
←その西造出側へおりると、大日如来像↓
その後ろに、後円部の玄室入口↓
「この石室は、薄い板状の結晶片岩を積み上げ・・・」
やっぱり結晶片岩だったか。。。
大日如来は石室に祭られていたそうで、平成になってから有志がこの石室入口前に再祀したそうです。
日が暮れてきたので急いで元の道へ→
この整備された広い道の右手、岩瀬丘陵の主稜線に沿って数珠繋がりに古墳が連なっていて、細い山路が古墳の間を縫っています↓
この部分はアップダウン少なく、山道ですが整備はされているのでサンダルでも行けそう。
大日山35号以外はみんな小さめで、ほとんどが円墳。前方後円墳はあっても帆立貝型古墳のようなもので、方墳は僅か。
前山地区の郡長塚古墳(前山B112)→
石室入口の積み上げ石(緑色片岩)が大変整っているという(だが未公開)、円墳(前山B111)↓
前方後円墳の知事塚古墳(前山B67)→
大日山35、大谷山22に次いで、3番目に大きい前方後円墳の将軍塚古墳(前山B53)↓
墳頂42.5m、6世紀後半の築造。
資料館から近い「前山A地区」はかなり整備されていて、この将軍塚もA地区寄りの為か、周辺にベンチが設置されていたり近くに展望台があったりと、整備具合◎
ただここ、「外側の復元」をした古墳は一個も無いんですね。葺き石がないと、すぐ草が生えて小山になっちゃうのでしょうが、実際の正確な大きさを決定できないのが難点でしょうか。
石室は結構な数を復元していて、多くは「保護の為に未公開」だったのですが、ここは公開→
「入口手前のスイッチで明かりをつけて入ってください」↓
ムリ。コワすぎる
閉所暗所は好きなんですが、こういうトンネルとか、まして行き止まりとか、ホントになんかもうダメ。
展示室と違って、この地域特有の石棚と石梁がみられるのですが・・・今日も入口だけ撮影して、退散。
展望台から見た和泉山脈と紀ノ川方面↓
この先は小さい円墳しかないので、左手(南)へ折れて山道斜面を駆け下り、「前山A地区」へ↓↓
ここから舗装路ですが結構急斜で、その右手の斜面には段々状にず~っと古墳が連なっています。石室に入れるように整備してあるのは「前山A67」「前山A46」の2箇所。もちろんオールスルー。
中の様子は図録で見られるからいい。入ったら死んじゃう。
このA地区は、初期の調査地域だそうです。
←途中にベンチがあったり、植栽もされていて整備具合バツグン 景色も良い→
この古墳群、江戸時代には存在が認識されていたそうですが、初めて調査されたのは明治40。本格的な調査は大正7、国史跡になったのは昭和6だそう。
どんどんくだって資料館に近づくと、江戸時代の復元家屋が数個↓
断熱施工されていたら、こんな家に住みたかった
でも純日本家屋とか、ましてこんな茅葺家屋って、イチから造ろうとすると高いんですよね~・・・
埴輪教室で作ったらしき、円筒埴輪→
傘立てにもなりそう・・・
館に戻ったら、すっかり日暮れてました↓
最後に屋外展示の和舟(昭和38製)を見て、終了。
シャッター閉まってる→
展示も古墳も中々、さすが風土記の丘
もっと時間を取って、トレッキング装備で、大谷山まで見に行きたかったな~。
終了後はPから県143へ戻り、途中良さそうな(だがPすら激混み)の花山温泉や時間があれば行こうと思っていた鳴神貝塚を通過して、和歌山市駅前のホテルへ。荷解きもせずに駅前の魚介居酒屋「くろしお」に直行。
この店、イワシ専門店と銘打ってますが、地元の魚介、日本酒、色々あります。うわー大アタリ 灘で修行して杜氏になったという店主ご友人が醸した地酒で一杯・・・いえ、何杯飲んだか記憶に無く…・・・ 奈良酒みたいな酸味で、すっごく美味しかったんですよ
おかげで翌日はいまだかつてない二日酔いで、元気なんだけど目がよく見えず呼吸も苦しいというヤバい状態に。当然運転もできないので暫く静養し、畑ファイナルには大遅刻、会場でも突っ伏したままという大惨事でした。反省。