Wの記録

Wこと天羽の趣味の記録。主に山と遺跡史跡。信州飲食店情報へはリンクの食べログIDから、サークルサイトはツイッター@Wistoria_Tからアクセスください。     (2019年9月Yahooブログより移転。それ以前の記事は画像がズレて読みにくいですが、とても調整しきれないので。。。)

★北ア/表銀座(1)・燕~西岳~槍ヶ岳

常念押し(三股ルートに限る)な私は、季節を変えて毎年2~3回は常念へ登り、燕にも足慣らしと称して年1は登っております。が――――――実はまだ、あろうことか、燕~大天井~常念の所謂表銀座(超・メジャールート)を通ったことが、ありま、セン。

なぜならばソロで避衆派車移動で、「体力は払うけど金は払わない派」だから。

三股P、公共交通機関が無いんですよねえ・・・(=>タクシーで片道¥6000位?)

幸い燕岳の登山口には公共のバスがあるので「いつかは通る!!」と極力金を使わない方法をしつこく考えて悩んで幾数年。。。珍しくしっかりした長い梅雨が明けた直後の2019年8月最初の週。偶然、晴れ予報期間にドカンと有休取れるタイミングが来たので、行ってきました!

 

★★表銀座(1)・燕~西岳~槍ヶ岳★★★

標高差:UP約m/DOWN約m  歩行距離:合計約km

登山口:中房温泉 下山口:三股P 条件:一人、晴天、オールセルフキャリー

日程:2019年8/1(木)~3泊

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この山行、前半のキモは 交通手段(車)の配備です。

 

① バス停に荷物をデポ

まず初日(平日)の朝5時半、車で穂高温泉郷にある「しゃくなげの湯」へ行って、登山用P↓(北側の第5P、無料)へザックを置いてきます。こちらは南側の第1P↓

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先着1台だけ↑ 穂高駅の登山P(無料)より、こちらの方が空いてるかも。

こんなの取っていく人も居ないと思うけど、一応日陰になるような外灯ポールの下に、鍵付ワイヤーで固定。

② 三股Pに車をデポる

さすが平日6時。最奥の三股Pが、まだ10台くらい空いてました(夏の土日は5時でもムリ)。なるべく長時間木陰になるような場所へ車を停めて、積んできた折り畳みMTBを出します。前の車(カローラレビン101)だとかなり工夫しないと積めなかったのですが、新車(フィットRS)は荷室がフラットになるので楽々

③ 自転車でバス停に戻り、バスに乗って登山口へ

念のため空気圧を再調整し、来た車道を一目散にくだります。点滅ライトをつけっぱにし、熊対策に鈴を鳴らし、途中にあった大きな落石をどけながら・・・この三股の林道は二箇所ほどアップダウンがあるので大変かなと思ったのですが、白沢に比べたら全くの無問題。MTBでも普通に座ったまま漕ぎ登れました。良し!

対向車もあるので慎重に進んでも、この林道区間は15分もかからなかったみたい。「ほりで~ゆ~」のあるゲートへ戻って「あづみの公園」を抜けたらT字路を左折、穂高地区へ向かいます。この区間も全体的に下りで、大したアップダウンは無いのでラクラク。おかげで「しゃくなげの湯」P到着は7時。しまった、早すぎた。。。ここから中房温泉行のバスが出るのですが、次は8:30発です

かと言ってこれ以上遅いと三股Pには停められない。こんなんだったら、もうちょっと早く出て6:40発のバスを狙えば良かったな。。。

仕方ないのでザックを外して自転車をポールに繋げ、周辺↓を散策。

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凡例に「バス停↑アイコン」はあるのに、地図上の実際の場所に無い・・・置忘れ??中房行のバス停は、薄くて丸くて黄色い「芝生ひろば」の、左の太い道沿いにある小豆色の四角の、道はさんで反対側です。

 

このエリア、「しゃくなげの湯」の移転と同時にかなり拡張・整備されました。道の駅みたいな「Vif穂高」は8時オープンで、足湯は清掃中、トイレも閉まってるけど……足湯が昔あったラウンド十字路の場所に多目的トイレが設置されているので、ウォーキングしながらぐるっと一周。途中の東屋でのんびり朝食を摂りながら、iPhoneでちょっと仕事。          バス停↓     この奥のラウンドサークルの先↓右手に多機能WC

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あ!↓ここから新宿行が出てる!  でも中房線との乗継ぎ5分↓ タイト

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中房温泉行のバス穂高駅(登山者用P無料)から出発し、この「しゃくなげの湯」や常念坊、有明山神社P(登山用P無料)を通ります。所要30分ほど、片道¥1200。平日なのに、乗車率95%(全席着席)。燕山荘の影響か、若者・子連れ、多いです。。。

ヘアピン狭歪ロードに揺られること40分、中房温泉に到着(H1,450m)。

 ***** ***** ***** ***

 <1日目> 燕岳 ↓ には行きませんでしたが・・・ ~合戦尾根~

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タイム:4時間(4h10m)、標高差:UP1,254m、距離:約4km

この部分は燕岳の記事でもご覧ください。

普段ここを真夏には登らないので、とにかく暑い、そして重い!

もちろんビールを積んでいますが、今回は少なめなのに―――新しいザック、ベルト部分をSサイズに変えてバッチリ!と思いきや、問題はサイズではなく構造だったようで。。。腰全体ではなく「腰の脇」だけが締まる仕組みなので、坐骨神経痛が再発しそう・・・っっ

登り続けるためにはベルトを緩めるしかなく、肩にかかってくる重量が凄いことに。

 

それでもゆっくり登って何とか登山口から4時間(4h10m)、15時前には燕山荘のテン場(H2,704m)に着くと、うわあ、平日なのにかなり混んでる・・・いえ、8月だから当たり前なのですが、他人のことを考えていない or どれだけ混むかわかっていない張り方をしている若い子が多くて、ムダに半端な隙間が多くて大きなテントはムリな感じ。結局夕方18時くらいまで続々とテント組が到着し(←これも酷い話)、これから夕食でも作ろうかって時にテント移動を促されて大変そうでした。最初から端に詰めて張っていればそんな苦労も無かったのにね・・・

小屋泊の方も若い子が多く、子連れ(4羽)のライチョウがテン場近くをずっとウロウロしていたのですが、発見しては騒ぐ、後追う、それで登山道外のお花畑に侵入するする・・・

燕山荘は財力があるというか何というか・・・山雑誌で「憧れの山荘1位」に輝く山小屋で、精力的に宣伝・営業。規模も大きくツアーや学校登山も多いです。晴れた早朝は下界から見てもビカビカ光ってます。その分、テン泊者(金を落としていかない)に対してかなり冷たっな感じ。繁忙期だからってのもあるんでしょうね。。。

小屋の中は快適なのかと思いきや、やはり繁忙期は「1畳に2名」だそうで「スタッフもゾンザイだった」(伝聞)。何が良いのかわかりません。。。立地かな。

★テント:1泊1000円。大きめの段々構造でフラット。水は1L¥200。

 トイレはテン場の北にある小屋で、紙:持ち込み、ボットン。

 

 <2日目> 燕山荘―>西岳ヒュッテ ~喜作新道~

タイム:3時間35分(5H50m)、標高差:UP約680m/DOWN約695m、距離:約10km

 朝5時、テン場はもう賑やかで、こちらも何となく起きてしまいましたが、この日は西岳のテン場へ移動するだけなので、小屋でお湯を買ってゆっくり朝御飯を摂って、7時出発。        小屋の前を北へ↓

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  この斜面(登山道左側)↑は、コマクサが大量に生息。(半栽培?)

 大天井岳(奥)↓    ↓↓「表銀座」全景↓↓  ↓槍はずっと雲っ被り・・・

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大天井岳までは7.8kmだそう。 どこが「蛙岩」だったのかは、さっぱり不明。

ああ・・もう↓信州側からガスが・・・ このハシゴ(下から撮影)↓を降りると 

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 反対側の登り↓のもっと右側→→の岩壁↓に、「喜作レリーフ」!↓↓(北アの英雄)

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  ここ↑から少し登ると・・・ 

燕山荘から 1時間半(2H20m)で「大天井分岐」↓  

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←左へ登ると大天井岳山頂ですが、Wはここをそのまま真っ直ぐ進みます↑

 大天井岳の西側を右巻いて↓・・・  大天井岳直下↓ 岩とハイマツが美しい・・・

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     牛首山展望台↓が見えてきた       鋸刃岩↓ 「あと15分」!

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              眼下に赤い屋根↓が見えてくると・・・

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また大天井岳山頂への分岐↓があって    この先にクルマユリ

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この槍ヶ岳までのkm数↑は足りないと思うんだけど・・・大天井分岐から30分(40m)で、大天井おてんじょヒュッテ!↓↓ ん・・・?おてん「じょ」??

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           わお!松本ブルワリーのIPAがある!!↑↑ 

ランチは牛丼って! >< 布団干してて小屋前にベンチ、造りも良さそう。「良い小屋」な雰囲気がビンビンします。でもここ、テン場が無いんですよね。 

ここでエネルギー補給をしてから「喜作新道」へ入り、西岳へ向かいます。

最初は下り↓

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この部分も↑クルマユリキスゲミヤマキンポウゲがワサワサと↑ そのうち登りが始まると、やがて「ビックリ平」(H2,549m)に到着↓↓

    牛首展望台↓(尾根道は廃路)   ↓大天井岳  

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ここから暫くは緩く移動(↓砂の広い部分が多数あるので休憩に◎)

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             む、ちょっと見えた↑  ↓東鎌尾根はずっと見え見え。

←西岳。かなり↓→くだってから、登る→↑のも、丸見え・・・  これ↓は北鎌尾根

f:id:wistorian:20110101044009j:plainこの日後半から同道したテン泊縦走者(明日は「槍ヶ岳山荘」泊)は「うわ~あれはちょっと・・・凄いわあ~・・・」と何度も唸って「あなた、本当にあそこをピストンするの?」と何度も言う。あのね、そういうことは、考えちゃいけないんですよ?

 

アップダウンが数回あって、やがて↓左巻くようになり・・・

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ここ↑はチングルマ(晩期)、シャクナゲ(ピーク)、コバイケイソウミヤマキンポウゲなどがワサワサ。   ↓たまに岩岩。  ↓左巻く、左巻く・・・

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大天井おてんじょヒュッテから1時間35分(2h50m)で、↓↓ヒュッテ西岳(H2,685m)。

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何、あのテン場・・・↑ 「西岳のテン場は槍の眺望が良い」がウリらしいのですが、あの立地は 強風祭りでは??

 

そしてこの小屋、評判悪いんですね・・・明日の予定を聞かれたので「槍ピストン」「状況によってはここにまた泊まる」と応えると―――

「テントは置いていかないでね!」「テン場はヘリポートになることもあるから」「小屋にも置いていかないでね!」

は??ピストンなのに、荷物持ってけってこと?

それってこの小屋の存在意義ゼロじゃ・・・・・・

「2泊する場合もですか?」

「そう、2泊する場合でも、テントは畳んで持ってってもらうよ!」

吐き捨てるように・・・まあ、田舎の古い人って乱暴な言い方しますが悪い人じゃないんですよ(翌日水買う時なんかはニコヤカで気味悪いくらいだったし)。でも、そういうルールだと知ってたら、大天井泊で組んだのになあ・・・

「戻ってこられない人も居るからね」「置いていかれると迷惑だからね」

と言っていたので、過去に色々あったのでしょう。だったらサイトにそれをはっきり載せたらどうかな? どう考えたってここ、槍ピストンに最適と思われて当たり前の立地だし。わざと載せないってことは、詐欺も同然。「北海道ではデポ厳禁」と聞いたことあるけど、北アでは初だわ。。。

まあ、おかげで「槍ピストン後に大天井まで戻る」という決心が着きました。

 

そうと決まったら↓テン場へ行って、さっさと設営!

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幸い風はそんなに強くなかったですが、槍はずっとこんな感じで↑↑モヤモヤ雲被り。平日で僻地なのでそんなに混まず、しかし16時から雨がかなり降ってきたので、この日はずっと、テントの中で呑んで終わりました。。。

★1泊1000円、稜線なので斜め多し・・手前スペはフラット。水:1L¥200。

 トイレは¥100で小屋前の屋外建物、バイオ?で綺麗。紙アリ、手洗水あり。

 

<3日目> 槍ヶ岳 往復  ~東鎌尾根(喜作新道)~

タイム:往路:2時間45分(4h30m)/復路:2時間20分(4h10m)、

標高差:往路UP約800m/DWN約320m、距離:往復14km

 

朝3時半、雨は小降りになり、外へ出た時はもうほとんど止みかけ。風はやや強めですが、予定通り決行です。

もちろん最低限の荷物だけにし、大きい荷物は小屋より北の、登山道沿いの広いところに放置。(年配の方たちはちゃんと担いで往復してましたが・・・)

 

小屋上の分岐(H2,690m)↓(暗かったので、戻ってきてから撮影)

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   小屋からはまず、200mほどガガっと下ります↑↑↑↓↓

   ↓槍                すごい高度差↓↓

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          ちょうど下ってる人↑が、ガレってる。

この部分が一番、テン泊装備ではキツいかも。。。置いてきて良かった。。 この最初の降りから100mほど登って、100mほど降りると・・・  天上沢の谷間↓

ヒュッテ西岳」から40分(1h)で↓「水俣乗越」(H2,475m)。狭い。。

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この標識↑の向こう側へ降りると、北鎌尾根へ登る上級コース。手前の槍沢へ下りれば、上高地へ下れます。

そして、ここからが東鎌の真骨頂!という感じでした。。。。

    最初は緩やかに移動するし↓ 槍もよく見えているのですが・・・↓↓

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まず、朝6時前だというのに蒸し暑くて虫が多く、ゆっくり休憩も出来ない。これは時期が悪かったなあ~・・・↓登らせておいて、急激にくだる↓ なアップダウンあるし

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全体的にザレガレの中、↓階段・ハシゴが多数↓出てくる↓↓

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あと1.3km↓(槍ヶ岳山荘までの距離)。 ここまで来るとだいぶ近い↓↓

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ここ、ハクサンイチゲ多いですね@   このガレガレ斜面↑をジグザグ登ると…

水俣乗越」から1時間35分(2h10m)で「ヒュッテ大槍」 (H2,884m) 槍↓↓

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おお~・・・・いいですねえ・・・

この先で3方向に分岐している↓ので注意(槍方面は右手に登り)。

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ここから槍直下まではガレガレ&岩ですが、「緩やか~に登り」、楽ちん↑

左手眼下に↓殺生ヒュッテ   槍直下を更に左巻くと・・・↓

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            赤い屋根↓が見えてきた!

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直下すぎると槍っぽくない↓    天狗原(左)へ行く槍沢分岐(左)↓↓

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「ヒュッテ大槍」から30分(50m)で、「槍ヶ岳山荘」(H2,980m)↓  どどーん・・・

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でも、いい景色!(西鎌尾根方面)↓

  ↓野口五郎岳? ↓三俣蓮華岳    鷲羽岳↓    ↓水晶岳f:id:wistorian:20110102001200j:plain槍山頂までは↓ここから「片道30分」。

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ご覧の通り大したことない岩道↓で、

「登り」↓と 「下り」↓  それぞれ片側通行と、問題無い設定なのですが・・・

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追い越しは危いので自粛。そうすると、素人や「岩を怖がる人間」が一人でも居ると、大渋滞なんですね~・・・ 

         ↓最初のハシゴ(上から) 最後のハシゴ↓   右奥↓は下山用

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しかし!ちょうど登りは前に誰も居なくて(←8月土曜にコレは奇跡!)

 10分で山頂↓↓(H3,180m)到着★              ↓北鎌尾根

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え~と・・一応100名山で、ニホン第三位の標高デス。

山頂も私入れて5人くらいしか居なくて・・・登ってる時にすれ違った下山者が「山頂は渋滞、撮影待ちで社の前は行列してたので、諦めてすぐ帰ってきた」と言ってたので、本当に運が良かったです。

             西鎌尾根方面↓ 次はここ通りたいな・・・

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     穂高にもまたいつか行きたい↓↓(マイカ上高地を通らずに)

f:id:wistorian:20110102004058j:plainでも、山頂は狭くて休憩には不向き、大した用事もない・・・滞在3分。

さあ、東鎌尾根(↓一番奥は常念!)に向かって、帰りますよ~↓  ↓笠ヶ岳

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しかし下りは、子連れの母親が怖がって渋滞引き起こしてて30分近くかかりました

また槍直下を通って↓       山頂から標高300m程一気に下り↓

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「槍ヶ岳山荘」から20分(30m)で再び、「ヒュッテ大槍」(H2,884m)

 これからガガっと降って、ここまで登るのか…↓  ↓テン場この辺

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  改めて見るとすごいわ、喜作・・・   この高度差!↓↓↓↓

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「ヒュッテ大槍」から45分(1h40m)で「水俣乗越」。

さあ、ここから森林です。さらば、↓槍たち。

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 乗越から1回アップダウンした後の、↓この最後の登りが、一番急斜面・・・

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ザレ・ガレ・ザレ! 難易度「小」でも、人が多いと大変

ここで。山口県から来ている高校生山岳部とすれ違い。うわあ・・・なんて元気で素朴で、とってもフレッシュ!さすが16歳!まさに夏のトビラ!!(笑)

この真(魔?)夏の過酷ルートに、とっても似合う若さだわぁ・・・

 

ホントにね、今日は3~4組のシニアパーティとすれ違いましたが・・・ここは、そのお歳でヒイヒイ言いながら通るのってどうなの?クラス、なんですよね・・・年齢制限あるわけじゃないですけど。

例えるならば、自治会の日帰りツアー(Ave.70)が原宿や大久保にきちゃったとか、チーマー(10代前半)が盆栽博物館にうっかり入っちゃった、みたいなもの。TPO(時と場合と立場)もカタチ(団体・・・)も、スペシャルミスマッチ。

私だったら、ツラいルートは若い時にさっさと通って、歳取ったらもっと相応で優雅なルートを通りたい(だから今、頑張ってる)。でも最近は「リタイアしてから山を始める人」が多いみたいで・・・

「北アの真骨頂」とか「ニホン三大○○」とか「山好き垂涎の・・・」とか雑誌やTVで煽られると、行きたくなっちゃうんでしょうね。そのキモチはわからなくもないけれど、だったえらもうちょっと準備(体力つけるとか、時間に余裕を持てる財力を用意するとか)しようよ~

良い反面教師になっています、悪乗りシニア。。。

 

そんなこんなで「水俣乗越」から50分(1h30m)、↓「ヒュッテ西岳」帰還。

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10:25、余裕で間に合った!

★北ア/表銀座(2)・西岳~大天井~常念岳

<3日目後半> ~喜作新道(折り返し)~

タイム:1時間40分(2h30m)、標高差:UP約300m/DWN約350m

距離:約4km、日程:8/4土曜日PM、晴天!

 

槍ヶ岳ピストンアタックが予定より短時間で済んだので、西岳の小屋上の分岐点で雨具のウィンドブレーカーを天日干し(夜間の雨の名残もあり、前半は森林限界じゃないから下草が多くて結構濡れた)。水も買って補給もバッチリ 西岳直登点より北で、問題なくザック回収。気力はややナイですが、体力と時間はたっぷりあるので・・・午前11時、予定通り大天井へ、GO! 

最初はユルリと右巻き↓             牛首展望台↓   大天井↓

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朝は見え見えだった槍も再び雲冠してしまって、またしても「ツンツン」な景色。おいいいいい。結局この、いわゆる「喜作新道」では、一度も「アッパレ槍」は見えませんでした。。。。

f:id:wistorian:20110102050803j:plainあまりにも天気がいいので、この途中の白砂場↑でコーヒータイムを取りながら、朝露グッショな靴下と靴を干します。このまま進んだら、とんでもなく早い時間に次の泊地へ着いてしまう・・・

 

その泊地ですが。

大天荘だいてんそう表銀座伯仲大天井岳山頂直下にある山小屋で、超華々しいメジャースポット。8月上天気の土曜の今日は、ゲキ混みな予感・・・・・テン場もあるので、最初はここに泊まる予定でした。

しかし、実は今朝、テント(皮)を風に飛ばされてしまい・・・―――

 そう、今日は小屋泊なんです。

 

 片やその手前の例の大天井おてんじょヒュッテはマイナーな燕~槍ヶ岳ルートにあり、テン場が無いことも相まって、若干「穴場」的な雰囲気。往路で接した限りは、マメマメしい良小屋の気配を感じました。 

  マメ例↓ (↓松本平の最高クラスなクラフトビール ↓土日に向けて布団干し)

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時は梅雨明け直後の、8月第一週の、土曜日。

テントの無い身でどちらを選ぶかなんて・・・ それはもう・・・・

それでも一応ヒュッテで試しに「どちらの方が混みますかねえ?」「予約はどんなものですかねえ?」と尋ねたら―――

「確かに大天荘の方がメインルートです」

「こちらは、今日は一人で一つの布団を使えます!」

決まりです。久々の山小屋泊は、大天井おてんじょヒュッテで!(素泊まり1泊7200円)

 

その前に―――――――――――――――――――――――――

まだ14時前なので、昨日スルーした「牛首展望台」(H2,766m)へ行くことに。

タイム:登り10分(15m)/降り6分(10m)、標高差:約120m、距離:約4km

  小屋のまん前の 登山口↓        ちょっと登ると、小屋の全景↓

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小屋からの標高差は約120m。それが「片道15分」って中々の急斜です。でも整備はされてる↓                 山頂あれかな?↓

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      「牛首展望台」山頂(H2,766m)↓  あ!お社がある☆☆☆☆☆

f:id:wistorian:20110102065508j:plainちょっと「チベットちっく」な柄の黄布が巻かれた標識が「修験道よりもっとカルト?!」な期待をさせておいて、お社はただの「大天照皇大神」。ち・・・っ 明治の余波がこんなとこまで!(それとも喜作の氏神?)

  あれは燕岳↓    目の前に、昨日通ってきた路↓(誰もが的に)

f:id:wistorian:20110102065733j:plainそして今日、通ってきた路↓    東鎌尾根↓       半見えの槍↓

f:id:wistorian:20110102071415j:plainそして明日、朝日が昇ったら↓行く山(大天井岳

f:id:wistorian:20110102065613j:plainんん?小屋から山頂への「直登っぽい↓ジグザグ路」が見える・・・ 獣道?

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      ←↑燕岳への巻き道        西分岐↑  ↑小屋この辺

                  大天井岳の右手奥には、私の常念

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 ↓高瀬ダム湖もよく見えた     確かに眺望◎!f:id:wistorian:20110102071758j:plain

でも、牛首山(H2,553m)は一体ドレだったんだろう・・・??

 

ここにお酒持ってくれば良かったな~ 昼寝しようかな~と思ったのですが、さすがに真夏の直射日光は強すぎた。顔や首がヒリヒリしてきたので、10分で下山。。

 

さて。小屋泊は、成人してからは「仕方なく」(テント装備を忘れたとか、テン場が無いとか)の場合だけで、この10年では2回くらいしかありません。小屋泊の度に、夜遅くまでヘッドランプで本読んだりプラ袋の荷物をガサガサゴソゴソしたりするおカバさんとか、病的なほどの大音量イビキで迷惑な男性とか必ず居るので、印象悪い。(イビキに関してはテントでもかなり聞こえますが・・・同室内では耳栓も利かない)

でも結果的にこのヒュッテ、凄く良くて!

 

もともと北アの小屋は、日本でも最先端で至れり尽くせり。トイレはバイオで綺麗だったり、衛星テレビが見られたり公衆電話あったり携帯充電も可能だったり、乾燥室はカンペキで休憩室は綺麗で、水は無料でいくらでも汲めたりします(その分、値段は高め)。反面、「山の良さ」も何もあったもんじゃありません。。。

このヒュッテは、バイオは一基だけで基本ボットンだけど綺麗だったし、テレビはあったけれど食堂ではなく小さい休憩室に設置されていて、山の雰囲気は損ねてない感じ。昨日干していた寝具はコダワリの品っぽくて、綺麗で新しめ(「発熱するから温かい」なんてタグが着いてる・・・)。

プラス「気遣い」がある!

まず宿泊部屋が布団6組敷ける広さになっていて、どうチェックインしようと「女性だけ」にしてくれたり、希望を聞いて「グループ部屋」にしてくれたりします。

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いや、接客業ならそれくらい当たり前なんですけどね・・・・山では当たり前じゃないもので。。。八ヶ岳なんかは繁忙期でも無いのにチェックイン順に有無を言わさず詰め込まれたし、布団も汚かった。。。

 

そして、部屋が汚れないように「ザック類は室内持ち込み禁止」。廊下にザック用の棚があり、荷物整理も廊下で! 素晴らしい!! 同室の人(燕山荘前泊)も「この小屋いいわねえ」「今まで泊まった中で一番綺麗」としきりに感心。あ、でも、携帯の電波はドコモでも入らなかったようです。iPhoneなんか当然ダメでした。

 

17時からの夕食(2R制)も落ち着いて、 20時消灯。

予想通り同室人のイビキが始まりましたが、小柄な女性だからか音はささやかなもので、気になりませんでした。ヒュッテ経営者の心配りに、感謝・・・・・・!

 

<最終日> 大天井岳常念岳 ~前常念・三股ルート~

タイム:縦走:2時間35分(常念山脈/4h40m)/下山:2時間40分(三股ルート/5h20m)、

標高差:UP約800m/DWN約2,080m、距離:縦走6.5km+下山7.2km、

日程:8/5日曜日、晴天!

 

小屋の朝食が5時のため、皆さん4時過ぎにはゴソゴソと動き始めます。

今日は7時に出発すれば余裕なのですが「まあいいか」とこちらも早起き。のんびり朝食を摂って、5:45、出発。↓牛首展望台       西分岐↓「常念岳5.5km」→

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 この5.5kmというのは、たぶん常念乗越までの距離だな・・・↑

 今日は天晴れ!↓   昨日通った喜作新道↓        槍っ↓

f:id:wistorian:20110102225806j:plain小屋からはずっとこんな↓岩ゴロの右巻き道を登り。槍眺望はどんどん良くなる

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つい、似たような写真撮りまくり ↓ナイス北鎌    ↓薬師の方(アコガレ

f:id:wistorian:20110102233859j:plain    小屋から40分(40m)で、大天荘だいてんそう(H約2,870m)↓  敷地すごく広い・・・f:id:wistorian:20110102234120j:plain

 小屋の背後が山頂↑      右手にはテン場↓  フラット!

f:id:wistorian:20110102234219j:plain次はここ泊まりたいな・・・でも、やっぱりビールはイマイチなラインナップ。周辺にはまだチングルマがピーク気味に咲いてました。

ここから、ちょっと前常念チックな↓大ガレ白岩の道を登って・・・・・

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      小屋から6分(10m)で、大天井岳おてんしょだけ(H2,921.9m) !↑↑(社は熊野系)f:id:wistorian:20110102235125j:plain  うん、もうイイ・・・ こんだけ見れば↑↓ もう下界に還ってもイイ。

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 表銀座全景↓↓          燕岳↓これ?   じゃあこれ↓は蓮華かな…

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     穂高↓     ↓喜作新道と東鎌尾根全景↓    ↓槍め・・・

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しかし、ここでも電波入らず・・・予定通り明日出勤するよって、上司に連絡しなきゃならんのに。。。

山頂から3分で戻り、小屋↓とテン場を後にして・・ってここも眺望いい!↓

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いよいよラストの常念路↓(勝手に命名)へ。    ずっと見えっぱ↓f:id:wistorian:20110103001805j:plain     最初は緩やかに稜線を↑天空散歩・・・・・・  振り返ると大天荘だいてんそう↓ 牛首展望台はもちろん、↓五色が原や↓↓裏銀座立山↓↓↓↓まで!!f:id:wistorian:20110103001839j:plain とにかく緩い↓   例の虫が入ってるみたいな花↓も珍しく群生していて・・・

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「のどかでライチョウなんかも暮らしやすそうなとこだな~」と思っていたら・・・

   うわ、出た↓

f:id:wistorian:20110103002946j:plainしかも7羽もの子連れ・・・ヒナ↓が人間の前後(しかも登山道上)にワラワラと

f:id:wistorian:20110103002907j:plain生存率2割だというのに、この警戒心の無さと言ったら・・・  この先で東大天井の山頂直下を右巻くと↓ 雪田が見えて東へガガっと降るルートに。↓横通岳と常念岳

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ここからの降りは繁盛したハイマツ樹林帯で、途中に廃道が幾つもあり、昔は全然違うルートだった模様。 ↓東大天井岳 右へ行って→ここから↓降り。 廃道の一つ↓

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この斜面↑の植生が結構面白かった。

再び登りになると次はガレ気味↓、広いのでここで休憩。東側がかなり削げてる ↓↓

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横通岳↓を右巻くと、いよいよ常念乗越に向って急激に降り↓

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槍方面はずっとアッパレなのに↓  東側はモックモク~・・・↓

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小屋の赤い屋根↓が眼下に見え、最後は荒れ道の樹林帯へ↓ ここ歩き難い・・・

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大天荘だいてんそうから1時間50分(3H)で、8年振りの「常念乗越」↓(H2,460m)

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この常念小屋も評判悪いのですが、初めて中に入ってみると西岳と同じく「田舎の古い人の乱暴な物言い」なだけな感じ。ただ、小屋の中年スタッフにルートの質問をしたら「やだそんな巻き道知らな~い、危ないからやめてやめて~」「遭難でもしたら救助に行かなくちゃいけないし~」だと・・・「いえ、来なくていいです」と言ったらキョトンとしてましたが。。。「山小屋は緊急避難や補導所の役割も兼ねている」んだから、小屋で働く以上は「山を把握する努力」をするなり、わかる人をきちんと呼ぶなりしてほしいな。。。まあ、人気小屋にそこまでのプロ意識は期待していないので、この「石室からの新しい巻き道」については後日、自分で検証します。

体力も時間も残っているし、久々に山頂経由しますか=3

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少し登ったところから、↑小屋            テン場↑      乗越↑
あの森林帯さえ無ければ良いルートなんだけどなあ・・・

標高差400mのこの斜面↓が一番急。ガスが晴れて、横通岳もくっきり↓ 暑い・・・

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常念小屋から50分(1H)で常念岳山頂↓(H2,857m) 人多。。

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さて、休みが取れるから思わず来ちゃったけど、8月上旬にこの山域は非常に暑い!晴れ予報を狙ってここまで実際メッチャ晴れて、しかもどんどん南下したから今日は最高に暑い。まして下界はもっと暑いので・・・下山したくない~

でも前常念のこの尾根↓は大好きなので、とりあえず石室へ・・・ ↓美しい

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これが例の、石室の前にある「新しい巻き道」の看板↓ かすれて読めなくなっていたので、設置されたらしき年(2014年)↓の画像を。

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   看板には「常念小屋まで1.5時間 八合目経由」 

下の「常念小屋」の板は「昔の巻き道分岐」(ここよりもっと上)に設置されていた方向指示板なので、右に行けば巻き道なのかと思っていたけれど・・・巻き道にしては1.5時間は長すぎる。もしかして「八合目」というのは山頂直下の「乗越からの道との合流点」のこと・・・??でもあそこは八合目というには上過ぎるし・・・

前常念のいつもの岩で、いつものように長めのコーヒータイム 30分くらいゴロゴロしていると、単独男性がヨロヨロヨロリと下山してきました。心配で声をかけると「こんな岩ルートだとは思わなかった」「登る時に岩で道に迷った」「一緒に下山してくれませんか」。誘われた。この岩がイイのになあ・・・ ↓下から前常念方面を撮影

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無事岩エリアも終わり、尾根出合いで単独男性とサヨナラした後はゆっくり下山。テン泊装備で通過するのは初めてなので、もともと危ない左膝をこれ以上壊さないよう、時間をかけてゆっくりと・・・ これが結構難しい

 

常念山頂から2時間40分(5h20m)で、「三股登山P」帰還★

 

総合評価

燕~常念間はお気楽縦走にイイ感じ!また通りたい!!!

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槍は、次は西鎌からか穂高からか・・・東鎌るにしても、槍沢から。

発掘された日本列島2019

今年も行かれそうもありません、速報巡回展。。。

ほぼリンク記録と化してますが、この巡回展を請け負う館は良い意味で意識高い系の博物館が多いので、後日このあたりを旅行する時の良い立ち寄り候補になるんですf:id:wistorian:20190926193554g:plain

江戸東京博物館 令和元年6月1日(土)~7月21日(日):東京都
花巻市博物館 令和元年8月2日(金)~9月10日(火):岩手県
三内丸山遺跡センター 令和元年9月21日(土)~11月4日(月祝):青森県
名古屋市博物館 令和元年11月16日(土)~12月28日(土):愛知県
大野城心のふるさと館 令和2年1月18日(土)~2月26日(水):福岡県

 大野城って福井県かと思ったら福岡県なのか・・・

三内丸山は15年前に行ったきり。かなり整備されただろうなあ。

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緑字は旧石器時代橙字は縄文時代青字は弥生時代ピンク字は古墳時代紫字は古代奈良時代?)赤字は中世(平安~室町?)青緑字は近世(江戸だ!)黄字は近代f:id:wistorian:20211101103759j:plain

 

★近畿・御在所山(三重県)~中道/表道~

職場の山会の関西メンバーが言うのです。

「御在所は岩だらけで、めっちゃあんたの好みやで」

でも、関西に行くのは大体、スカイラインが閉鎖している冬。登山のいい季節に信州を離れるなんてそんなバカなことは普段しませんもん。。。が、この度神社的な理由でGW直前に奈良県へ行くことになりました。そんなら京都で呑み会しましょとなったけど、奈良の後は伊賀国(名阪国道沿い)で神社巡りをしたい。北上するなら、新名神は前に通ったから別の道、下道ががいいな。そうすると・・・「鈴鹿スカイラインで琵琶湖経由京都行き」。この山、通り道ですね!

 

****御在所山(1,212m、三重郡菰野町****

登山タイム(標準CT):登り1時間35分(中道2h20m)/下り1時間(表道1h15m)

標高差:655m、 距離:約6km、 出発地:中道P(H557m)

条件:一人、GW初日(土曜日)、雨のちアラレに暴風雨

 

前日は伊賀国の神社と遺跡をまわって、四日市のホテル泊。現地の駐車場事情がよくわからなかったので、朝5時出発します。

R477をひたすら西に行き、鈴鹿スカイラインに入り、温泉街への分岐を過ぎると左手にアスファルト舗装の整備された↓「中道P」。おお、空いてる。 

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他の登山者が続々と到着しますが、ここで小雨が降ってきた ↑ 虹まで・・・

ヤマテン予報は天晴れマークだったけれど、名阪国道もそう、晴れ予報でも山間部は土砂降りだったりするんですよね、このエリア・・・

「登ってる間は雨で、午後になったら晴れ」かなーとイヤな予感がしつつも朝6時半、登山開始。

 

Pからスカイライン沿いをちょっと登ると、ロープウェイの白い鉄塔が真正面に見えてきて ↓↓ この正面のカーブ突き当たりが「中道登山口」(H559m) ↓

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                    「鈴鹿の山を甘くみるな!!」↓ 

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う~ん、(4)はどうかな。。滑落した時に独りだとヤバいとかそういう意味だと思うのだけど、同行者が滑落したり歩行不能になって足引っ張られることもあるからなあ…

と見てたら、ミニパトがすいーっと停まり、登山届を回収しにきました。

「今日は風が強いから、ザックカバー飛ばされないように固定してね!」

「登山届出した?」

ここも県警が遭難救助するんですね・・・コンパスで出したと言ったら「ああ、OK」みたいに頷いて終わりでした。だいぶ浸透してきたなコンパス 。さあ、行くか。

最初は普通ですが ↓   そのうちモロい花崗岩の尾根を登るように ↓ 

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いい急坂@  ↓   「中道登山口」から15分で 「3合目」(H710m) ↓  ↓ 

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 ここは「裏道」へ行く下り坂の分岐点。

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左が↑ 「中道」続行、右が「裏道」↑ へ下り。 ここにも「つっかえ棒信仰」↑ が・・・しかし、これはやり過ぎです。棒も適当すぎて、信仰的なモノが見えません。やはりまっすぐで枝のない、良い棒を使わなければ・・・もはや「薪をくべた」との違いがなく、あとは点火するだけ、みたいな。

 

ちょっとしたガレ場 ↓  に出ると、ロープウェイ下を通過 ↓ (強風で運休)

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この先から、ステキ岩 ↓  がゴロゴロ。  懲りずに棒が。。。ファイア! ↓   ↓  

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 岩、岩@ ↓   「3合目」から20分で 「4合目・負レ岩」(H792m)  ↓  

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 ↓「負かし岩」かと思ったら「おばれ岩」だって。。。上から見ると ↓ こんな感じ。

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あ、「背負われた岩」ってことか!

 いいねえ ♪↓ ↓  「4合目」から15分で 「5合目・展望所」(H842m)  ↓  

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ここまで来るとヤシオツツジはまだまだフレッシュで、まさにこのGWがピーク。今回はずっと降っていた・・・というか途中から氷雨というかアラレになったにも関わらず、明るいので写真がよく撮れました。

山頂もず~っと雲に覆われていますが↓ ・・・ふふ・・下界は晴れてますね・・・ ↓ ↓ 

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  ↓ ↓この、上だけ平らな岩もステキ・・・ お、噂の「地蔵岩」 ↓ ↓

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「5合目」から20分で「6合目・キレット」(H900m)↓ ↓ さて、どんな切れ目が・・・

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とここで、いきなりの超・強風。うわわ・・・ヨロける。「キレット」は風の通り道で、鞍部は大体、両側が削げた細道。いま行くと危ないので、戻って岩陰に潜み、風止み待ち。10分ほどで止んだので、ひょこっと岩の向こうに出ると・・・↓ ↓なんだ、大したこと無い。後続者が居ましたが、下から撮るとこんなもの↓ ↓

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「6合目」から15分で ↓「7合目・かもしか広場」(H990m) (広くなかった

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確かにこのルート、岩が多くて楽しいです。でも、短い・・・

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「7合目」から15分で 「8合目・岩峰」(H1,111m) ↑

この後5分程で↓ こんなハシゴが出て、ロープウェイ乗り場周辺に合流。展望台 ↓ 

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あ~あ、終わっちゃった。。この先は観光エリアです(が、無人

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一般には御在所「岳」 ↑ で通っているようですが、国土地理院の地図は御在所「山」なので、「御在所山」が正式。

何も見えないのでここからさっさと「山頂→」の標識に従って右手へ進むと、やがてアスファルトの水平道 ↓ に。そして、裏道との合流点 ↓  ↓ 

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   こっちは「山」になってる ↓

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観光リフト(冬はスキー場)の下 ↓ を通り、冠峰歌(鎌ヶ岳賛歌) ↓  の碑を通って・・・

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あの階段 ↓ を登ると山頂です。登らずに左手へ行くと ↓  ↓ 長者池と御嶽神社

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長者池はサンショウウオ生息地らしいので帰りに寄るつもりでしたが・・・この天候じゃ行ってもな~。

長い階段を登ると ↓ 「中道P」から1時間35分で 、一等三角点のある「山頂広場」 ↓  ↓ 

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リフト駅前なので歌碑やトイレ、ベンチ、色々賑やかですが、無人

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そして看板には「H1,211.95m」とありますが、地図上ではここ、1,209m。

向こうになにやら ↓↓ 小高い部分が見えます 

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    この方位案内標で西方向(奥)の「琵琶湖」方面へ進むと・・・ ↑↑ 

あ・・・ここかなのか、「山頂」(H1,212m) ↓↓  ↓↓   

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岩の上の標は「望湖台」 本来は琵琶湖が見えるんですね・・

一応岩の上にでも立ってみるか、と登ったら、いきなり暴風が吹き荒れ、立っていられないほどに。&アラレが弾丸のように当たってきて痛い痛い。仕方ないのでまた岩陰にしゃがんで、風止み待ち。。。なんか物悲しい・・・

山頂は広くてベンチもあるし、普段はビールか珈琲タイムなんですが・・・・・・

下山だ下山!> <

 

帰りは中級コースという噂の「一の谷新道」で下山する予定でしたが、こんな悪天候時はヤだな。「裏道」もいいかと思いましたが、待てよ、中道は東西に走るルートで、強風は北から来てた。ということは、「中道」の北にある東西走りの「裏道」だって強風に違いない。何が楽しくてあんな台風中継の人みたいなことしなきゃいけないんだ、山で・・・

そうすると選ぶべきは・・・山頂南側の、南北に走る「表道」かな?

 

元来た道を戻って ↓↓ 分岐点で「表道」へ。最初はなだらかな笹道 ↓↓

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思ったとおり、いきなり無風で静かになりました。
相変わらずアラレは降ってますが、中道のような横からの弾丸攻めではなく、シトシト・パラパラ。楽~。 ↓ 岩場も少なく、「ザレザレ」「ガレ」程度。

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こちらにもヤシオツツジアカヤシオ)は咲いてましたが↑↑ 、コブシ(タムシバ?)の方が多いかな。登山道上には ↓白い花びらの方が多かった。ツバキは全然無かったようで、中道とはちょっと違う感じ。  右手に沢の音がすると思ったら・・・↓ 

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        へえ~こちらは渡渉箇所があるんですね ↑ 

上に施設が色々あるから、水場としてはアレですが・・・・・・「表道」、 特異な岩などのイベントポイントが無い分ザレ度が高いので、難易度は「中道」と同程度かもしれません。

大きめの岩があったので、ここで初休憩。珈琲が美味い。もちろん 伊賀で買ったお菓子↓も旨い@ ちなみに気温はこの時点で4℃。

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でも風が無いし、まだパラパラと アラレってるけど↑、一人だから気楽。

途中追い抜いた若い男女チームは、女の子がもう疲れちゃったようで、雨とザレで滑るし岩多いしで物凄っくペースが遅かった。。。こんな低山なら迷わなければ日のあるうちに帰れますが、北アでアレやられると下山できなくなるもんな~。

しばらくすると眼下にスカイラインがチラチラ見えるようなって、やがて目の前に切り立った展望台みたいなの↓ が出てきました。 R477(鈴鹿スカイライン) ↓  が真下に。

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「百間滝見晴台」です ↓ 。 更に進むと道は左手に下りて、滝が ↓ 

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中道が「岩コース」なら、こちらは「水コース」なんですねえ。

下りきると一旦スカイライン(車道) ↓ に出合いました。ちょうどヘアピンカーブのとこ。が、車道には出ず、このまま左手に進み、登山道をくだり続けます ↓  ↓ 

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再び車道に出合っても ↓  、左へ左へ・・・車道の橋下をくぐって更にくだり ↓ 

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すると ↓ 石祠や石碑が続々と出てきて・・・ ↓  ↓ 

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「表道分岐」から40分(50m)で鳥居に到着 ↓  振り返って撮影

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ここが「スカイライン以前」の街道で「表道の登山口」なんですね。ここを←左へ行くと武平峠なので分岐点でもあります。
この直下で三滝川を渡渉 ↓ し、ず~っと左岸をくだり。 ↓ 砂防提を過ぎると

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「鎌ヶ岳分岐」 ↓  ↓  ちょくちょく車道に近づく↓  あ、こんなとこにもPが!?

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この区間、車道はすぐ近くに見えて、出ようと思えば車道に繋がる獣道や整備道がありましたが、一度も車道に出ないで併走できました。便利。所々整備されていて、散策路としてもイイ感じ↓ ↓ 

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 初めての橋↓ ↓         登山届ポストには↓ 「ここは三ツ口」。

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更に下には何かの建物が見えましたが・・・ん?

 ↓ ↓「中道登山道・一ノ谷新道」  車道も見える。中道Pはここだ。。。

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この道 ↑を登ると、中道登山口の反対側に出ました ↑↑ しかしこちら側には何も目印ナシ。これはわからないわ。↓ ↓ここも路駐して良いらしい。うわ、ツアー団体が↓ ↓ 

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「表道分岐」から60分でP帰還。

は~ヒドイ登山だった。北アだったら撤退しとるわ・・・

でも、小さい山にしては斜度も岩もいい、アクセスとP事情はかなりイイ。ロープウェイ期間は山頂が人だらけになりそうだけど。もしまた機会があったら、冠峰絶賛の鎌ヶ岳に行ってもいいなあ・・・

なんて帰り支度をしていたら、どんどん明るくなってきて・・・

    晴れた!!? ああっ、ロープウェイも↓↓動いてる;;f:id:wistorian:20190501141506j:plain
AM10:30。Pにはまだまだ余裕アリ。路駐スペースも全然空いていたし、第一この鈴鹿スカイライン、地図に載ってないPが沢山ありますね!?

一体私は・・・何のためにあんな朝早く・・・わざわざ近畿まで来てアラレ・・・

 

しかし、ちょっとガタガタの鈴鹿スカイラインをゴンゴンくだって日野町に着く頃、またしても御在所山頂は黒雲に覆われ、下界でも天気雨状態でした。あの団体さんも、今頃は雨アラレにやられているな・・・

チェックイン時間前にホテルに着いてしまいそうだから、時間つぶしに途中の野洲で三上山に登っていたら、あんな低山(H432m)でも上部ではパラパラとアラレが降っていたし・・・

 

この日は全国的に「晴れ予報だったのに悪天候」だったようで、北アでも遭難相次ぎ4名死亡。撤退する勇気、持ちたいものです。 

国史跡/古墳時代◆大岩山古墳群(滋賀県)

日本全国どこへ行っても弥生モノを追っているWですが、そうするといつも、その後代である古墳時代の遺跡に遭遇します。古くて大きい神社のある場所はその地方の政治的中心地なので、これは必然。大体「城」も近くにあります。縄文遺跡は・・・・・・あれはちょっと場所が違いますね。

神社も古墳も「墓」という意味では似た様なものですから、興味が無いわけはありません。よって今回も、「銅鐸のオマケ」として行ってみました。

**国史跡・大岩山古墳群滋賀県野洲市**

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上図に古墳名の記されている8基が「大岩山古墳群」。そのうち甲山・円山・天王山の3基が、「桜生さくらばさま史跡公園」として整備されています。

銅鐸博物館のスタッフによれば「ここから桜生までは徒歩8分だが、R8を超える部分は信号が無くて危ない。駐車場もあるし車で行くのがオススメ」。というわけで、銅鐸博物館から車でR8の立体交差点へ戻り、そのまま交差点を直進し、次の信号で左折。すれ違いややムリな狭道へ入りますが、これ、旧中山道だそう。

やがて道幅が広がり ↓新幹線の高架線路が見えて、それにどんどん近づいていくと・・

               その線路に当たる手前左に ↓ ↓こんなPと建物が。

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看板がどこにも無いよ?!と思ったら、おや? こんな↑↑ところに家型石棺のミニチュアレプリカが・・・こんなの ↓ ↓ 車から読めないって!><(敷地内のも草に↓↓埋もれてる…

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全体的にトリッキーなのが好きな施設団体・・・?

この建物は、地図には「案内所」となっていますが、看板等は一切無いし閉まってる。あの、今日はGWで日曜なんですけど・・・・・・

「昔は常駐していたけれど、今は財政難で閉鎖」でしょうか?

銅鐸博物館でもらったチラシがあるし、地図 ↓ もあるので、まあいいか。

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まずは案内所の後ろ手の「学習広場」へ。↓↓これは珍しい、屋外にジオラマ

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ジオラマ中の手前右の大きい茶色は「大塚山古墳」でホタテ貝形古墳なのですが、前方後円墳ぽくなっちゃってるし、造出しの向きが間違っています。古い地図でも前方後円墳の形をしていたので、私もずっと勘違いしてました。発掘当時は前方後円墳だと思われていたのか、作成者が両者の違いをわかっていなかったのか・・・

学習広場から池(アヤメ池?)の横を通って舗装された緩い坂を登っていくと、右手に甲山かぶとやま古墳。直径30m、6C半ばの円墳です。

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円墳というにはかなり急斜面 ↑ これは確かに甲っぽい。ここで石室 ↑ を覗こうと近づくと、突然始まる古墳説明音声!!  ↓これを読み始めた・・・

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またセンサーか!>< なんでこんな大音量だよ! この公園、いま誰も居ないんだからコワいってば!! ああもう・・・ここプロデュースしたの博物館と同じ人だな絶対。

気を取り直して中を見ると、遠くに鉄格子の扉があって、羨道をかなり入らないと中が見えません。コワすぎる・・・パス。そして、道を戻ると旧中山道と新幹線路が見えたので降りてみましたが↓ Pはありませんでした。

               なのに何故こんなとこ↓に案内標識を・・・

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お次は大岩山古墳群で一番長い「天王山古墳」全長50mの前方後円墳

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前方部から登ると ↑ ・・・おお、奥に三上山のテッペンが見えますね !↑

後円部へ行くと、R8が見えます ↓   右手には琵琶湖対岸の山々(比叡辺り?)も ↓ 。

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ここは「石室はあるけど石棺が無かった」ということであまり重要視されておらず、石室の復元もしていません。

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ところで、この近くにある「林ノ腰古墳」は全長90mなのですが、既に全部削られて平地になってます。なので大岩山古墳群に分類されながらも、数として数えられていません。昭和に調査したら二重の環濠跡と大量の埴輪を出土、江戸時代の記録では兜や刀などの石室内出土品もあったそうな。残念ですね。。。

 

天王山古墳をおりて更に坂を登ると、R8に出ました。園内に作業車が入る用・・・にしては立派なゲート ↓     いかにも後付けな看板 ↓

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当初はここが「正面入口」だった??? 

ここから少しくだると、↓「円山古墳」の入口。 欲しくなってきたコレ ↓

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一番高い所にあり結構登るからか、ここだけ階段整備されているも、も、               かなり段差が高くて大変 ↓(上から撮影)

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直径28mの円墳と小さいのですが、場所が良いのと石棺や石室のレベルが高いのとで、一番整備されている感じ。例の案内音声センサーもバッチリ設置されてます

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      めげずに内部を撮ってみたけど・・・狭っ ↑ どうやって入れたのコレ・・・

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「石棺は熊本県阿蘇の凝灰岩」って・・・古代の人ってホント何考えてんだろ。どうしてすぐそこにある花崗岩じゃダメなの??(答え:脆いから)

登頂部に登ると眼下に↓ R8。 銅鐸博物館から見えた↓ネットも大岩山も↓真正面。

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これでPに戻って史跡公園は終わりですが、近いので「大塚山古墳」へ行きましょうかね。道が狭いので徒歩で。

公園を出て右手へ、中山道を少し戻り、すぐ左折して新幹線路の高架下をくぐって西へ行くと ↓ こんな石標があって、 ↓ その向こうに小高い林が・・・↓ 

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この古墳周辺、雨降ったら水浸しっぽい。バーク敷きのフッカフカ道 ↑

ここはホタテ貝形古墳で、円丘部の直径が57mと天王山古墳より大規模。周辺に埋め込み式の説明板(草に埋もれてる)が点在し、南西部に東屋と大きな説明板アリ。

何でも墳丘斜面や外周部から埴輪がたくさん出土していて、この切れ目の入った特殊な形の「造出し」部分の小さい方 ↓ の周辺からは、大型埴輪が出土したとか。

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なのにその出土品たちがどこにあるのかは、どこにも書いてないんだな~。

墳丘最下層の斜面には葺石の跡があったとかで、一部復元済(が、草で見えなくなってる)。完全復元したら綺麗でしょうねえ。  ↓南から見た大塚山古墳

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後ろは福祉センターなので、平日ならここまで車で来てもOKです。

さて帰ろうと道を戻ると、 ↓ あのネットと ↓ 大岩山(の後衛)が見えました。

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実は大岩山、このR8と新幹線の工事で相当削られて今は無く。しかし元々は、この大塚山古墳まで裾が広がっていました。山の西麓には小さい古墳群が点在し、更に西に行くと例の「林ノ腰古墳」が。そして銅鐸出土地である 山頂付近 ↓ には、「大岩山第二番山林古墳」があったそうです。とにかく古墳、過密地。

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     ●は全部、古墳 ↑  これ、軽く「風土記の丘」になれたんちゃう?

更に。大岩山が属する山塊の南西端には、式内名神大社御上神社と、その神奈備である三上山(近江富士があるのです。博物館の北にある宮山一号墳の麓の神社も、三上神社でしたね。 

御上神社のご祭神はとっても特異ですから、大変興味深いエリア。湖岸方面には兵主神社の総本山もあります 

(そして御上神社の南を流れる野洲川の源流は御在所山・・・あああ・・・)

 

観光地としてはマイナーですが野洲、Wは強くオススメします!

 

 

博物館/弥生時代◆銅鐸博物館(滋賀県)

出雲で大量(39個)に銅鐸が発見されるまでは、日本一の銅鐸出土量(24個)を誇っていた琵琶湖東岸の野洲市。 

当時は(というか今も)本やネットでは中々情報が得られなかったので、現地へ行った―――のが丁度10年前のこと。しかし時間が無くて写真もほとんど撮れず心残りだったところ。このGWに京都で用事ができたので、ついでに再訪してみました。

      ↓入口の石造モニュメント     館内の復元銅鐸↓

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野洲市歴史民族博物館****

これ↑が正式名称ですが、道路の青看やガイドマップなどは全部「銅鐸博物館」になっています。そしてネット地図に載っているのは、付属する復元史跡エリアと博物館を全部合わせた名称「弥生の森歴史公園」。

惑わせますね。

更に、まともなHPが無い

そのためタカをくくっていましたが・・・・Wが今まで行った中では一番銅鐸に関して詳しい解説が整っている博物館 です!

         ↓Pからのアプローチ。後ろに見えるのが銅鐸出土場所の大岩山。

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相変わらず見難い敷地内マップと内容説明板 ↓ 解像度の問題だと思ってたけど違う・・・

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おかげで「石舞台」や「方形周溝墓」は、帰宅して写真を拡大してから気付きました。ああっ「銅鐸出土地の碑」は博物館の裏にあったのか…!!

 こっちの地図の方が見やすい ↓

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共同作業所って何・・・?

とりあえず先に博物館へ行きましょう。入館料は大人¥200と格安、野洲市民は無料。

1階入口にはイメージ展示と、「弥生人になってみよう!」な衣装・勾玉貸し出しブースあり↓     ↓ 復元銅鐸もここ。 1階の展示室は2つにわかれている ↓

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<銅鐸に関する展示>

手前の展示室1は、ここの銅鐸の発見次第のビデオから始まり、銅鐸の種類や造り方など「銅鐸全般への理解」を深める展示。

この銅鐸の鋳造復元ビデオが凄いんです。鋳型の造り方から鋳造後の磨きまで、イメージじゃなくてホントに実演製作しちゃってる。しかもこんな土砂の型であんなのが出来るとは・・・5回も使いまわせる耐久性には絶句・・・。ビデオに夢中になってると、鋳型の模型が解説ビデオに合わせて動くのを見逃すので注意。

発見当時の村の記録では、銅鐸が「唐金古器物 からかねこきぶつ 」になっててイイ感じ。世界の鐘や銅鐸の起源にも触れていて、出雲の博物館(荒神谷)より内容が密。うわあ、三遠式と近畿式の見分け方も解説しちゃってるわ・・・(←これはカタログに載ってないので、最近の展示?

出雲の銅鐸は比較的早い時代の「鳴らす銅鐸」なのですが、ここのは弥生後期の大型な「見る銅鐸」。同范モノも出雲とは重なっていないようで、東海との繋がりが強いようです。

 

<銅鐸の実物展示>

奥の展示室2は、この博物館の裏山で見つかった「大岩山銅鐸」の部屋。中央に大きめの銅鐸が集められ、裏側も見られるナイスな展示。

出土は明治14(1881年,14個)と昭和37(1962年,10個)の2回あって、1回目は地元の子供が偶然発見し、2回目は新幹線敷設の工事中に。みな同じ大岩山で見つかっているのですが、出土場所は大きく3箇所にわかれ、銅鐸の製作時代も大きさも結構多様です。

 

一番大きな日本最大の銅鐸(134.7cm高)と二番目に大きくて絵が刻まれている銅鐸は、例の東京のアソコにあるとかで、ここに展示されているのは復元。まあ、どういう経緯でも、日本の国宝級遺物はアソコに取られてしまうものなので、これは良しとしましょう。

問題は他の銅鐸。上記の2つ以外は要らないと、残り12個はちゃんと地元の発見者へ払い下げられたのですが―――まあ、転売したんでしょうね。そうじゃなきゃ買いませんよね。当然、散逸していまい・・・・・・後年学者が当時の記録を元に探しに探したら、国内の各所(博物館や大学、寺)やドイツ・米国にまで飛んでいたとかで、ここに展示されている明治出土の銅鐸は全部復元です。つまり、私が辰馬()で見たのは明治出土の実物ってことですね。。。今でも2個は居所不明。 昭和時代までは、銅鐸所有数ナンバー1だった博物館

 

何しろ明治のことですから―――なんて言っていられません。

昭和の出土の時はなんと、発見者の工事人が古物商に持ち込み。偶然警察が気付いて転売は免れ、無事、滋賀県所蔵となりました。

しかし工事関係者に聞き取りをしたら、実はもっと前に山頂近くで1個発見していて、なのに同じく届出ていなくて。(これが24個中、唯一の流水紋!)

それも取り戻せたから良かったですが、今は世界に誉めそやされる「日本人のモラル」も、元々はそんなもんなんですよ。

というわけで、この昭和出土の10個(重要文化財)は実物。県内で出土した県所蔵の銅鐸も実物です

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展示物の写真撮影は禁止ですが、展示内容が全て掲載されているカタログはカラーで¥1000とお値打ち(但し、今回の再訪時には売切れ完売・・・なのに撮影禁止は酷い)。出土した銅鐸のカタログはこれまたオールカラーで¥400と、大変お安く見やすい。

 おお、三上神社と兵主神社遷座ウン年の記念冊子まで発行してるぞ。買いだ!

 常設展示カタログ↓      出土物カタログ↓      体験教室メニュー↓ 

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 ↑ 表紙はこの色に金の箔押しで「??」状態。凝ったデザインが裏目に・・・

博物館としてもまあまあ良いのではないでしょうか。

ただ、各所にある解説音声や解説ビデオが全部センサーで勝手に開始し、その音がかなり大きいので、この狭い展示室ではとても耳障り。読みたい解説板の内容が頭に入ってこない・・・ ボタン式にして、音量さげてくれないかなこれ・・・

 本来は「市の博物館」なため、廊下には他の遺跡の出土物が並べられ、2階の企画展示室にはズイキ神輿など野洲の祭りの民俗展示や天保一揆の資料、永原御殿の復元模型があります。

 

<弥生の森>

銅鐸を満喫したら外へ出て、弥生の森歴史公園を散策します。

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体験教室の建物↑      復元古代住居と高床倉庫↑      スイレン池↑

他にも大賀ハスや赤米の水田がありました。敷地はそんなに広くはないですが、入り組んだ園路に桜やツツジが植えられてよく整備されています。「すいません、いま何も花が無いんですよ」と作業中の造園スタッフに詫びられましたが、大丈夫。私の目的は花じゃなくて↓↓コレですから!

「山の神」↓この黒鳥居も奇異だけど、結構大きいんです↓これ。凄いインパクト・・・

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  うおおおお・・・うちの庭にも欲しいいいい。  あ、ここにも「つっかえ棒信仰」↑…

 ↓ 復元古墳「宮山二号墳」  ※この後ろのネット↓を覚えていてください

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昭和の銅鐸出土の時の工事で発見された、7世紀初頭の円墳。石棺あり。

「大岩山古墳群(国史跡)に属する最後の築造古墳」だそうですが・・・・↓ 広域地図 

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あれ? 国道8号(R8)の向こう ↑↑↑ に古墳群がある??

そういえばここへ来る時、R8を南(上記の地図で言うと左)からのぼってきて立体交差点を右折したのですが、その交差点の案内看板「銅鐸博物館→」(右)「弥生の森歴史公園→」(右)の下に「←弥生史跡公園」(左)を見ました。

「ええええ??史跡公園と歴史公園は違うの??」と惑いながら右折してきたのですが・・・気になる。

博物館スタッフに聞くと

「ああ、生史跡公園のことじゃないですか?」

すみません老眼で。でもその「桜生」の漢字を正しく認識しても「さくらばさま」とは誰も読めないことでしょう。

というわけで、続きはそちらへ・・・

鉢伏山(長野県松本市) ~尾根筋ルート~

 
★★★★★★★★★ 鉢伏山 (1,928.8m、長野県岡谷市)★★★★★★★★★
登山タイム(牛伏寺尾根筋ルート):登り(3h10m)---降り(1h40m)
標高差:約1000m  距離:往復11.5km  出発地:牛伏寺P(砂防提横)
  条件:一人、土曜日帰り、快晴